尾瀬 おこじょ物語        


           

    1.旅立ち



   美しい花のお山、至仏山の中ほどにカエル岩 という大岩がありました。 
   その岩の洞穴に、一匹のオコジョがすんでいました。
   オコジョの名前は、ジョニーといいました。オスのオコジョです。
   ジョニーは、まだまだ子どもなのですが、ずっと一人で暮らしています。
   なぜなら、ジョニーがまだ、ほんの小さい頃に、お母さんは病気で亡くなりました。
   ジョニーが覚えているのは、いつもお母さんが歌ってくれた子守唄と、ほっぺを撫でてくれた優しい手の
   温もりだけでした。 お父さんは、ジョニーが赤ちゃんの頃、旅に出たまま帰らなかったそうです。

   ジョニーは、お父さんのことは知らなかったし、お母さんのこともあまり良く覚えていませんでした
   けれど、『ジョニーのことを、それはもう大切に可愛がってくれていたんだよ』と、
   カエル岩のすぐそばにあるミズナラの樹に棲んでいるモモンガのおじさんが教えてくれました。
   そして、いつも山の仲間たちが優しくしてくれたから、淋しくはありませんでした。
   ジョニーは、一人ぼっちではなかったのです。

   ある夏の午後、ジョニーは、雷にあって困っていた、トンボの兄弟を助けてあげました。
   トンボたちは、至仏のお母さんに逢うために、尾瀬ヶ原の池塘から、このお山の頂きに向かって、
   はるばると旅をしてきたのだと言いました。
   それから、何日かたった朝、ジョニーが、カエル岩の上から、朝陽に輝く至仏のお山を眺めていると、
   たくさんのトンボたちが、至仏の風に乗って、いっせいに山から下りてきました。

   トンボたちの羽は、朝陽に輝いてキラキラ光り、まるで一筋の川が流れて行くようで本当にきれいでした。
   ジョニーは「やぁ、至仏の風さん、おはよう!トンボさんたちを乗せているから、今日は、風さんの姿が
   良く見えるよ!」と朝のあいさつをしました。
   すると、「ジョニーさん、おはよう!」と言う声がして、その光の川の中から3匹のトンボが舞いおりてきました。
   それは、あの時、雨宿りをさせてあげたスイとトトとララの兄弟でした。
   「やぁ、トンボさんたち、おはよう!至仏のお母さんには逢えたのかい?」と、ジョニーが聞くと、
   トンボたちは、嬉しそうにハネを震わせながら、『ジョニーさんのお陰で逢えましたよ。』
   『あの時は、本当にありがとう!』と、答えました。

   「ジョニーさん、ぼくたちの旅は終わりました。大切なものを見つけたんです。
   これからふるさとのイモリの池に帰って役目を果たします。」と、スイが言いました。
   「きっと、もう、お逢いすることは無いでしょう。けれど、また、来年、ぼくたちのようにトンボの子どもたちが
   旅をしてくると思います。」と、トトが言いました。
   「その時、もし、わたしたちのように困っていたら、助けてやってくださいね。」とララが言葉を続けました。
   「ジョニーさん、さようなら、いつまでもお元気でね。」そう言い残し、トンボたちは山を降りて行きました。

   それから、ジョニーは毎日、考えていました。
   「トンボさんたちは嬉しそうだったなぁ。大切なものって、何を見つけたんだろう?
   役目を果たすってどういうことだろう?ぼくも、トンボさんたちのように旅に出てみたいなあ。」
   ある日、ジョニーは、決心したように、至仏のお山に登って行きました。
   ジョニーが頂きに立つと、ヒュウーンと、至仏の風が新しく生まれては、山の斜面を吹き降りて行きました。

   その風の行く先には、広々とした緑の湿原が広がっていました。
   湿原には所々に青い瞳のような池塘が輝き、白く光る川が巡っていました。
   ジョニーは心の中で、あのどこかに、スイとトトとララがいるイモリの池があるのだと思いました。
   「そうだ、ぼくは、トンボさんたちを訪ねていこう。」

   至仏のお母さんは目には見えないけれど、きっと、この頂きにいるはずです。
   ジョニーは風に負けないように大きな声で叫びました。
   「至仏のお母さん、こんにちは。ぼくは、旅に出ようと思います。違う世界を見てみたいんです。」

   すると、どこからか、やわらかでやさしい声がしました。
   「おまえは、カエル岩のジョニーだね。旅立つ事は、良い事だよ。たくさんの冒険が待っているだろう。
   たくさんの勇気が必要だよ。辛い事や苦しい事があっても、それは、きっとお前を育ててくれるだろう。
   毎朝、お日様が昇るあの燧のお山を見てごらん。あの山は、尾瀬のお父さんなのだよ。
   燧のお父さんを目指して行きなさい。いつもお前を導いてくれるだろう。そして、辛くなったら、振り返って
   わたしを見てごらん。わたしはここから、いつもお前を見守っているから…」

   「はい、至仏のお母さん、くじけずに、燧のお父さんの所まで行ってきます。いままでぼくを守ってくれて
   ありがとうございました。」と、ジョニーは胸を張って言いました。
   「ジョニー、頑張るのですよ。」至仏のお母さんは、見えない手でそっと、ジョニーの頬を撫でたのでした。
   それは、ジョニーが覚えているやさしいお母さんの手のようでした。

   ジョニーは、山の仲間たちに、旅に出ることを告げて、今までのお礼とお別れのあいさつをしました。
   山の仲間たちは淋しがったけれど、元気で旅ができるようにと祈ってくれました。
   そして、無事に帰っておいでと、いつまでも手を振って見送ってくれました。
   ジョニーはふりかえり、ふりかえりしながら、生まれて初めて至仏のお山を降りて行ったのでした。

   蛇紋岩の急な斜面は、とても険しい道でしたが、夏の終わりのお花たちが咲き乱れ高山蝶が楽しげに
   舞う、素敵な道でした。
   降りるたびに、だんだんと尾瀬ヶ原が近づいてきて、とうとう、ジョニーは最後の森を抜けて広々とした
   緑の湿原におりました。

   「やった!尾瀬ヶ原だ!」尾瀬ヶ原は、とても広くて、どこまでも続く木の道が続いていました。
   そして緑の湿原には、金色のお星様をたくさん散りばめたようなキンコウカの花や、
   オレンジ色のコオニユリや、白くて小さなイワショウブや、やっぱり白くて可愛いゴマナの花や、
   黄色い小さなお日様のようなウサギ菊や、青い水辺がよく似合う、紫色のサワギキョウの花が、
   風に揺れて咲いていました。

     2.再会と別れ

   ジョニーは、最初の大きな池塘のほとりにやってきました。
   たくさんのトンボたちが、気持ち良さそうに水面を飛びかっていました。
   岸辺のほとりの草の葉に、仲良しの水色のトンボがいたので、ジョニーは話しかけました。
   「水色のきれいなトンボさん、こんにちは。ここはイモリの池ですか?」
   「いいえ、イモリの池はここではないわ。」と、青緑色のメスのトンボが言いました。
   『イモリの池は、この先の橋を渡ってから、最初の角で左に行けば良いよ。」と、水色のオスの
   トンボも言いました。
   ジョニーがお礼を言うと、トンボたちは、またつがいになって飛んでいきました。

   ジョニーは、水色のトンボに教えられたとおりに、歩いていくと大きな池塘が現れました。
   池の向こうには燧のお山が聳え、振り向くと湿原の向こうに、至仏のお母さんが見えました。
   池塘には、小さな島がいくつも浮かんでいて、風が吹くと、ゆらり、ゆらりと微かに揺れている
   ように見えました。
   そして、水面には、いくつものさざ波が寄せては、消えていき、たくさんのトンボたちが楽しげに
   飛んでいました。

   その池塘は、とても優しくて穏やかで、ゆったりと時が流れているようで、ジョニーはうっとりと
   眺めていました。 すると、足元の水面に、すーっと、イモリが現れました。
   「あなたは、アカハライモリのイモンさんですか?」と、ジョニーが尋ねると、
   イモリは、小さな泡を、ひとつ浮かべて「そうじゃ、わたしがイモンじゃよ。」と答えたのでした。
   「やっぱり、イモンさんでしたか。ぼくは至仏のお山に住んでいるオコジョのジョニーと言います。
   トンボのスイとトトとララに、逢いにきたんです。」と、ジョニーは嬉しくなって言いました。

   「おお、あんたが、ジョニーさんかい。トンボたちから話を聞いているよ。」と、イモンが言った時、
   「あっ!ジョニーさん!」「やっぱりジョニーさんだ!」「ジョニーさん、どうしてここにいるの?」と、
   懐かしい声がしました。見上げると、スイとトトとララが、嬉しそうに飛んできました。
   ジョニーは、トンボたちに逢いに来たこと、トンボたちのように冒険の旅に出たことを話しました。

   「わたしたちに、逢いに来てくれてうれしいわ!」とララが言いました。
   「冒険の旅か、素敵だね!どこへ行くつもりなの?」と、トトが聞きました。
   ジョニーは、至仏のお母さんと約束をして、燧のお父さんに逢いに行くことを話しました。
   「そうか、あの燧のお父さんに逢いにいくんだね。ジョニーさんなら、きっと辿り着けるよ!」と、
   スイが言いました。
   ジョニーは、何日か、このイモリの池にとどまって、トンボたちやイモンと楽しく過ごしました。

   ある朝、明け方の空から、キラキラと細い霜の欠片が、朝露と一緒にほんの少し降りてきました。
   やがて朝陽が昇ると、霜は消え池塘の岸辺のモウセンゴケが朝露をいっぱい付けて輝きだしました。
   トンボたちも透き通ったハネにいっぱい朝露を付けてじっとしていました。
   いつもと同じ光景だけれど、もう、夏の朝の気配は、どこにもないことに、ジョニーもトンボたちも
   気がつきました。
   お日様がだんだん高く昇って、トンボたちの羽の朝露が乾いて飛べるようになるまでの間、
   ジョニーはトンボたちととおしゃべりをしていました。

   「トンボさんたちが、旅で見つけた大切なものってなあに?」ジョニーが尋ねると
   「一番大切なもの…それは、わたしたちを育ててくれたイモリの池と、イモンだと気づいたのよ。」
   と、ララが言いました。
   「そう、イモリの池がなかったら、ぼくたちは生まれていなかったんだ。」
   「そして、イモンがいなかったら、ぼくたちはあんなに楽しい時間を過ごせやしなかったんだよ。」
   スイとトトも、そう言いました。

   「役目を果たすと言っていたけれど、君たちの役目ってなあに?」
   「わたしたちの役目は、今を一生懸命生きることよ。そして命を繋ぐこと。」と、ララが力強く言いました。
   「もうじき、ぼくたちの命は終わるけれど、また来年、たくさんの新しい命が生まれてくるんだ」と
   トトが明るく言いました。
   「ぼくたちの命を育ててくれる豊かな水と緑が、ここにある限り、永遠に繰り返されるんだよ。」と
   静かにスイが言いました。
   ジョニーは、トンボたちの言葉を聞きながら、スイもトトもララも、もうすっかり、立派な大人になった
   のだと感じました。

   「さあ、ジョニーお別れだよ。旅立ちの時がきた。草の葉先が色づいて、もう、秋が来たことを告げている。」
   と、イモンが言い聞かせるように優しく言いました。
   見ると、夏の終わりの花たちは、実を結び始めていました。
   いつのまにか緑の湿原は、ほんの少しキツネ色に染まり始め、
   秋のお花のエゾリンドウが、青い蕾を膨らめて、風の歌を聞いているのでした。

   「ジョニーさん、お別れね。旅の無事を祈っているわ。」「さようなら、素敵な旅を!」
   「また、来年、きっとどこかで逢えるはずだよ。それまで、さようなら…」
   トンボたちは口々に言って、決心したように、それぞれの恋人たちとつがいで水面を飛び始めました。

   「トンボたちも、新しい命を残して、もうじき旅立っていくんじゃよ。」と、イモンが淋しそうにつぶやきました。
   「ジョニー、旅とは、出逢いと別れを繰り返すことなんじゃ。出逢いは嬉しいが、別れは悲しい…。
   それでも、勇気を持って、旅を続けなくてはならないんじゃよ。」

   ジョニーは悲しくてたまらなくなって、イモリの池の上を飛ぶトンボたちに向かって叫びました。
   「スイ!トト!ララ!君たちに逢えて良かったよ。ぼくは君たちの事を忘れないよ!ぼくも勇気を持って
   燧のお父さんに逢いに行くよ。」そして、ジョニーはイモンにお別れを言いました。
   「イモンさん、いろいろありがとう。ぼくも旅を続けます。」
   「ジョニー、気をつけて行くがよい。わしは、この池でトンボたちを見守り続ける。それが、わしの旅なんじゃよ。」
   そう言って、イモンは色づいたヒツジグサの葉の上で、いつまでも見送ってくれたのでした。

   「さようなら、お元気でね」そう言ってジョニーは走り出しました。
   トンボたちが、もうじき、死んでしまうことが分かったのでした。
   胸がしめつけられるようで、悲しくて涙が後から後から風に乗って飛んでいきましたが、ジョニーの決心は
   変わりませんでした。ふりかえると至仏のお山が優しく見守っているような気がしました。

     3.竜宮の出逢い

   やがて、ジョニーは、竜宮と言う場所にやってきました。湿原の中から水が湧き出している場所で、
   覗き込むと、たくさんのイワナたちが群れていました。
   そして、イワナたちは次々と水の底へと沈んでいきました。
   ジョニーは不思議に思って、水辺に顔を近づけて大きな声でたずねました。
   「イワナさん、みんな穴の中に入っていくみたいだけれど、どこへ行くんですか?」
   すると、小さなイワナが振り向いて答えました。「竜宮の出口へ行くんです。」
   「竜宮の出口?」と、ジョニーが聞きなおすと、「そう、ここは竜宮の入り口。ここから、地底の川を通って
   竜宮の出口に向かうんですよ。」と、また、小さなイワナが答えました。
   「地底の川は、まっくらなの?竜宮の出口には、何があるの?」と、ジョニーは立て続けに聞きました。

   『地底の川は真っ暗だよ。おまけに、曲がりくねっていて、気をつけないとさらに深い底無しの穴に
   入り込んでしまうこともあるんだよ。そうしたら、出口には着けなくなってしまう。』と、
   少し大きな兄さんイワナが答えました。
   『竜宮の出口には、冒険イワナの王様が棲んでいるんだよ。ぼくたちは、王様に逢いに行くんだよ。』と
   小さなイワナが答えました。

   ジョニーは冒険イワナと聞いて逢って見たくなり「イワナさん、ぼくも行けるだろうか?」と聞いてみました。
   『おこじょさん、地底の川はとっても危険だよ。陸に住んでいるあなたには無理だと思うよ。』
   『それより、地面を走っていったらいい。向こう側の出口でぼくたちのことを待っていてよ。』と、
   イワナたちは口々に言いました。
   「そうだね。イワナさんたちの邪魔をしてはいけないから、ぼくは出口で待っているよ。
   ちびイワナくん、迷子にならないで、兄さんたちにしっかりついていってね!!」

   ジョニーは湿原を横切って走っていきました。「竜宮の出口ってどこだろう?」
   きょろきょろ探していると、湿原の中から水が湧き出ている場所がありました。
   「あったぞあれが出口に違いない!」ジョニーは一目散に走っていきました。
   今頃、イワナたちは、この大地の下にある真っ暗な地底の川を必死に泳いでいることでしょう。
   そう思うとジョニーは、心の中で、ガンバレ!と応援している事に気づきました。

   竜宮の出口で、水の中をのぞき込んでいると、突然水面が波立って、大きなイワナが顔を出しました。
   ジョニーは、恐る恐る尋ねました。「あなたが、冒険イワナの王様ですか?」
   すると、大きなイワナは、優しそうな目で見つめながら、『そうだよ。確かにわたしは冒険イワナだよ。』
   と答えたのでした。
   「ぼくは至仏のお山に棲んでいたジョニーと言います。さっき、竜宮の入り口で、イワナさんたちから、
   あなたの事を聞いて、逢いに来ました。」
   『そうか、子どもたちにあったんだね。』冒険イワナは、バシャンと体を跳ね上げて水しぶきを上げました。
   その体は、銀色の鱗が輝き、大きな口は鋭く尖り、イワナとは思えないほどの大きさでした。
   ジョニーはびっくりして目を丸くしながら「冒険イワナさん、あなたは本当に大きくて立派ですね。
   一体どんな冒険をしてきたのですか?」と尋ねました。

   するとそこに、先ほどのイワナたちが竜宮の地下の川を無事潜り抜けて続々と到着ししてきました。
   その中にはあの小さなイワナの兄弟もいました。
   「やぁ、ちびイワナくん、がんばったね!」ジョニーが声をかけると、小さなイワナは嬉しそうに叫びました。
   『あっ、おこじょさん、兄さんたちに助けてもらって、ぼくは必死でがんばったんだよ。
   竜宮の出口に辿り着けてよかったよ。』
   ジョニーとイワナの子が話していると、冒険イワナの王様がゆっくりと話し始めました。

     4.イワナたちの旅立ち
 
   『良いか、イワナの子どもたちよ。良くここまでやってきた。
   地底の川を潜り抜けることは、お前たちの最初の冒険なのだよ。一番小さなイワナの子よ。
   わたしも、かつて、この竜宮の川で生まれた時、お前のように小さかったのだよ。
   そして、獲物を獲るのも下手だった。他の仲間たちのように上手く捕まえられないから、いつも腹をすかせて
   いたんだよ。』
   一番小さなイワナの子は、初めて声をあげました。
   『冒険イワナの王様、あなたもぼくのように小さかったのですか?』

   『そうだよ、お前よりも小さかったかも知れない。旅立ちの日が近づいても、大きくなれず、仲間たちからも
   置き去りにされてしまった。しかたなく、わたしは一人で旅に出ることにしたのだよ。
   今、お前たちが越えてきた地底の川を潜り抜け、外の世界に飛び出すと、上流へ上流へと泳いでいった。
   川を遡ることは大変だけれど、なんとか餌を捕まえることも出来た。
   時には、日照りで川が干上がってしまうこともある。そんなときは川床に残った水溜りに身を潜め息を殺して、
   ただひたすら雨が来るのを岩陰で待たなければならなかった。』

   『王様、日照りの時に、鳥や獣に見つけられたら命はなくなってしまいます。』と他のイワナが言いました。
   『そうだよ。その時は、運が無かったのだとあきらめるしかない。わたしたちも、虫を食べて生きている。
   鳥や獣も同じだよ。わたしたちの命が、鳥や獣の命を繋ぐ…。それが森の掟なのだよ。』
   冒険イワナが静かにそう話すと、子どもたちはみな黙り込んで耳を澄ましました。

   『しかし、もし、幸運にも生き延びることが出来たなら、雨を待つのだ。やがて大粒の雨が降り始め、
   川の水が一気に増して勢い良く流れ始めたら、力いっぱい上流へ泳ぐのだよ。
   水が多い時には魚の道が出来る。急峻な登りも上手く上っていけるのだ。
   こうして何度も何度も繰り返しながら、上へ上へと登っていく。

   やがて、寒い冬が来て厚い氷が張り詰め川が眠りについたら、一緒に眠りにつけばよい。
   そして、春が巡って来て厚い氷が溶け去り、眩しい光の泡が水の底まで降りてくると、雪解けの水で
   川は一気に流れ出す。その時が素晴らしいのだよ。わたしたちは、また力いっぱい泳いでいけるのだ。
   やさしい花びらが流れる川を行き、緑が染める川を行く、色とりどりの落ち葉を浮かべた川を行き、
   また、白い雪が積もったら眠りにつく。こうやって繰り返すうちに仲間たちは、それぞれの居場所を
   見つけてそこにとどまり旅を終えていった。けれど、わたしは旅を続けた。

   こうして長い旅の果てに、わたしはついに素晴らしい別天地に辿り着いたのだよ。
   そこは、尾瀬沼という山の上の大きな沼で、周りには高い山々が聳え、美しい流れが注いでいる。
   たくさんの魚が棲む美しくて素晴らしい沼なのだよ。
   苦しい長い旅の果てに、尾瀬沼に辿り着いたのはわたし一匹だけだった。

   わたしは、もう、昔の小さなイワナではなかった旅の間に大きなイワナに成長していたのだよ。
   旅でいろいろな事を学んだ。わたしは、それを生かして、尾瀬沼で楽しく暮らした。
   そして、わたしも年を取った。わたしは、新しく生まれた子どもたちに、素晴らしい外の世界があることを
   教えるために生まれた川に戻ってきたのだよ。

   良いか子どもたちよ。冒険の旅を続けるには知恵と勇気が必要だ。
   危険もたくさん潜んでいるが、自分の力で困難を乗り越えた時、それは大きな力となって
   お前たちを成長させてくれるだろう。
   さあ、今が旅立ちの時だ。お前たちは自分の住むべき場所を見つける旅に出るのだよ。
   そして、おまえたちの中で、誰か尾瀬沼まで辿り着けた者がいたら、いつかこの竜宮へ戻ってきて、
   わたしの後を継いでおくれ。おまえたちの帰りをわたしはここで待っている。』
   王様の話をじっと聞いていた子どもたちは、口々に冒険の旅に出る決意を、イワナの王様に誓うと、
   みんないっせいに泳ぎだしました。

   ジョニーは、慌てて小さなイワナの兄弟に声をかけました。
   『チビのイワナ君、気をつけてね。兄さんたちと一緒に無事に旅を続けられるように祈っているよ。』
   「ありがとう、おこじょさん。ぼくがんばるよ!」小さなイワナの子は、元気よく叫ぶと竜宮の出口を目指して
   泳いで行きました。
   冒険イワナとジョニーは、最後の一匹が見えなくなるまで、じっと見守っていました。
   ジョニーは冒険イワナに向かってこういいました。
   「冒険イワナの王様、あなたのお話を聞いてぼくは勇気が湧きました。
   ぼくも燧のお山を目指して旅を続けます。そして、そこから尾瀬沼に下りてみようと思います。」
   冒険イワナは大きく跳ね上がり、銀色の鱗を輝かせました。『そうか、おまえも旅を続けるのだな。
   知恵と勇気を忘れずに行くがよい。そして、どんなに苦しい時も自分を信じ続けることが大切だよ。』
   そう言い残し冒険イワナは竜宮の底深く潜っていってしまいました。

    5.燧のお山を目指して

   ジョニーは竜宮を抜けると、彼方に聳える燧のお山を目指して走り出しました。
   いつの間にか湿原は一面の草紅葉になってお日様が照らすと暖かそうなキツネ色に輝いていました。
   ジョニーが走ると、金色の波が後から後から寄せてくるように見えるのでした。
   夕暮れ時になると、草紅葉を赤々と染め、お日様は至仏のお母さんを美しく照らします。

   小鳥たちも急いでねぐらへと帰っていき、至仏の風がヒユーンと物悲しく吹くと、湿原の草という草が
   ザワザワとざわめきだしました。ジョニーは、なんだか、ふっと寂しさに包まれ、ちょっと身震いしました。
   そして、急いで今夜のねぐらを探してもぐりこむのでした。

   赤々と燃えた空は、だんだんと色を失くし、オレンジとピンクとうすむらさきとコバルトプルーの空の色になり
   いつの間にか濃紺の空へと変わっていくのでした。やがて、山影から白いお月様が昇ると、空の彼方には、
   きらりと光る一番星が輝きだすのです。
   毎日、この光景を眺めながら、ジョニーは至仏のお母さんにおやすみなさいとつぶやいて眠りにつくのでした。

   いく晩かそんな夜を繰り返した後、朝目覚めると、暗い空の彼方から、サラサラと霜が降りてくる音がしました。
   「どおりで、寒いわけだ…」と、ジョニーはひとり言をいいました。
   朝日が燧のお父さんの肩から、ゆっくりと昇り始め、最初の光がまだ暗い尾瀬ヶ原に届くと、
   尾瀬ヶ原は一面、真っ白な霜の原になっていました。そして、次の瞬間、太陽から零れ落ちた光の雫が、
   七色に光り輝やく粒となって、白い霜の上にいっせいに降り注ぎました。すると霜はキラキラと輝きだして、
   それはまるで、宝石を撒き散らしたように、まばゆくて美しい世界を作るのでした。

   ジョニーは、やがて太陽の熱で霜の精が消えてゆくまでの儚くて美しい光景を見つめていました。
   周りの山々もさまざまな色に色づき始め、尾瀬ヶ原は一年のうちで、もっとも華やかな季節を迎えました。
   「さぁ、ぼくも先を急がなくては…」そうつぶやいて、ジョニーは歩き始めたのでした。

   拠水林の白樺は、明るいレモン色に葉を輝かせ、ツタウルシは緋色に燃えていました。
   ジョニーが尾瀬ヶ原を抜け、いよいよ燧のお山の裾野についた頃には、森は、赤や黄色に色づいて
   それはもう、とても美しくて、ジョニーは時々立ち止まっては、梢を見上げてばかりいました。

   やがて小さな沢を越え、大きな巨木が立ち並ぶ森のふところ深くへとジョニーは分け入って行きました。
   行けども行けども、岩だらけの深くえぐれた道が続いていました。
   この道は、大雨の時にはきっと川になるに違いないとジョニーは思いました。
   ジョニーが棲んでいた至仏のお山でも、時々そんなことがあったので、雨の日は、森の中を進みました。

   いくつ夜を数え、いくつ朝を迎えたでしょう。ジョニーはようやく、見晴らしのいい稜線に飛び出しました。
   森の中を彷徨い歩く間、至仏のお母さんの姿を見れなかったので、ジョニーは真っ先に至仏のお山を探しました。
   「あっ!見えた!至仏のお母さんだ!!」ジョニーはそう叫ぶと、近くの大岩の上に駆け登りました。
   いつの間にか木々は葉を散らし、至仏のお山に続く尾瀬ヶ原がはっきりと眼下に見えたのでした。

   「至仏のお母さん、ぼくは、やっとここまでたどり着きましたよ。」
   ジョニーがそうつぶやいた時、冷たい木枯らしががヒューンと吹き抜け、ダケカンバの枝先に残っていた 
   最後の一葉を散らしたのでした。
   ああ、冬が来たんだ…ジョニーはその言葉を飲み込んで、森を抜けて、黙々と稜線を登り始めました。

   この先は、もう、背の低い灌木が岩にしがみつくように生えているだけの吹きさらしの道です。
   ジョニーは、お腹がすくと、草の実や木の根をかじりながら進みました。
   時々吹き荒らぶ風に、小さな体は吹き戻されそうになり、身をかがめるように歩く、苦しい道のりでした。

   夜は岩陰に身を潜め、深く澄みきった夜空に、凍えるように浮かんだお月さまを見上げながら眠りました。
   時々、寂しさに、なかなか眠れなくてお月さまが滲んで見える夜もありました。

   ある朝、とうとう、本当の冬が来ました。鉛色の空から白い雪が降り始めました。
   雪はいく晩も降りやまず、ジョニーはねぐらの洞穴から出られない日が続いたりしました。
   やっと、雪が止み、青い空と太陽が顔を出すと、ジョニーは穴の中から外へ這い出し、また歩きだすのでした。
   気が付くと、ジョニーの体は、真っ白な冬毛に変わっていました。

    6.銀太との旅

   そんなある日、青い空の彼方に、ちらっと燧のお山が見えました。
   ジョニーは喜び勇んで、また、元気に歩きだしました。
   振り返ると至仏のお山もジョニーを見守ってくれているようでした。
   ところが、午後から、急にお天気が変わり、凄い吹雪になりました。
   もう、一寸先も見えないほどのひどい吹雪です。ジョニーはうっかりして、足を踏み外し谷底へと落ちてしまいました。

   「いたたた…」ジョニーが目を覚ますと、『大丈夫かい?』という声がしました。
   「えっ!?」目をこすってよくよく見ると銀色のおこじょがジョニーの顔を覗きこんでいます。
   「君はだれ?ぼくを助けてくれたのかい?」とジョニーが尋ねると、銀色のおこじょは、澄んだ目で見つめながら
   『ぼくは、燧のお山に棲む、銀太だよ。君が谷底の雪の中にいたから、ここまで運んだんだよ』と言いました。

   「そうだったの、ありがとう。君は命の恩人だね。ぼくは、至仏のお山に棲んでいたジョニーです。」
   ジョニーは、ぺこりとおじぎをしました。
   『至仏のお山だって!!そんな遠くから、どうしてここまで来たの?』銀太は、くりくりした目をさらに丸くしました。

   「ぼくは、燧のお父さんに逢うために冒険の旅に出たんだよ。」
   ジョニーは、スイ・トト・ララのトンボの兄弟のこと、イモリの池に棲むイモンのこと、尾瀬沼までの冒険の旅の話を
   してくれた冒険イワナのことを、銀太に話しました。

   銀太はじっとジョニーの話に耳を傾けて聞いていましたが、ゆっくりとした口調で、言いました。
   『それで、燧のお父さんに逢ったら、君はどうするつもりなの?』そう聞かれてジョニーは言葉に詰まりました。

   「そうだなぁ…正直言ってどうしたいのか、ぼくも分からないんだよ。でも、きっと、何か答えが見つかると思うんだ。
   ぼくはそれを見つけるために旅をしているんだもの。」すると、銀太は、こんなことを言いました。
   『君は、知らないと思うけれど、燧のお山には、二つの頂があるんだよ。ひとつは、マナイタグラ、そして、もう一つが
   シバヤスグラと言うんだ。燧のお父さんは、きっとシバヤスグラの方にいるんじゃないかと思うよ。』

   「え〜!そうなの?ちっとも知らなかったよ。シバヤスグラは遠いのかい?」ジョニーがびっくりして尋ねると、
   『そうだなぁ、いったんマナイタグラに登った後、もう一度、シバヤスグラの急斜面を登らなければならないね。』
   と、銀太が答えました。「それは知らなかったなぁ…うまく道を探せるだろうか?」」ジョニーが考え込んでいると、
   『ぼくが一緒に行ってあげるよ』と銀太が言いました。
   「本当かい?ありがとう、とても助かるよ」ジョニーは銀太の手をぎゅっと握りしめました。

   そのあくる日から、ジョニーの旅は、銀太との二人旅になりました。
   今まで、ずっと一人で旅してきたジョニーにとって、銀太との旅はとても楽しくて嬉しいものでした。
   それに、銀太は、冬のお山のことをよく知っていました。
   『だめだめ、ジョニー、稜線を歩く時は山側を歩くんだよ。谷側には、風に吹かれて飛ばされた雪が凍りついてできた
   雪ぴと言うのが飛び出しているんだよ。そこに乗ったら谷底へまさかさまに落ちてしまう、注意して足を置くんだよ。』
   とか、風を避けて雪洞を作る方法とか、銀太は、いろいろなことを教えてくれたのでした。

   夜は一緒に眠り、目覚めると食べ物を探し、一緒に分け合って食べました。
   強風にジョニーが吹き飛ばされそうになった時は、銀太がジョニーの手を、がっしりつかんでくれました。
   ジョニーは銀太のお陰で、何度も助けられ、危険から身を守る術を教わることができました。

    7.燧のお父さん

   こうして、ジョニーと銀太は友情を深めながら旅を続け、苦労しながらマナイタグラを乗り越えることが出来ました。
   いよいよシバヤスグラへの雪の急斜面を登り始めた時でした。銀太は立ち止まり、ゆっくりとジョニーに言いました。
   『ジョニー、ここでお別れだよ。ここからは、君がひとりで行かなければならないんだ。』
   「え!どうして?一緒にシバヤスグラまで行こうよ。そして一緒に燧のお父さんに逢おうよ」とジョニーは言いました。

   けれども、銀太は、急に大人びた声で、穏やかに言葉を続けました。
   『ジョニー、もう、おまえに教えることは無くなった。おまえなら、きっと大丈夫だ。勇気を持って進みなさい。
   そして、わたしが果たせなかった夢を果たしておくれ。』そう言い残すと、銀太の姿は、雪の中に溶け込むように
   見えなくなったのでした。
   ジョニーは、銀太の名前を何度も呼びましたが、自分の声が雪山にこだましていくだけでした。

   その時でした、どこからか、イモンの声が聞こえたような気がしました。
   『ジョニー、旅とは出逢いと別れを繰り返すことなんじゃよ…』静かで優しい声でした。
   ジョニーは、涙が零れて来ましたが、その涙を手でぬぐいました。そして、心を決めたように顔をあげました。
   「銀太、ありがとう。」ジョニーはそうつぶやくと、もう、後を振り返らずに、頂を目指して黙々と登って行きました。

   そして、ついに、シバヤスグラの頂に立つことが出来ました。
   吹き荒れていた風が急に穏やかになり、ジョニーは山頂の祠の前に立って、大きな声で呼びかけました。
   「燧のお父さん、ぼくはカエル岩のジョニーです。至仏のお母さんの所から遥々旅をしてあなたに逢いに来ました。」
   すると、どこからともなく、力強くて穏やかな声が聞こえてきました。
   『カエル岩のジョニーよ、たくさんの試練を乗り越えてよくここまで来た。』
   「いいえ、燧のお父さん、けしてぼく一人の力ではないんです。ここまで銀太という友達が一緒に旅をしてくれました。」

   『ジョニー、お前はもう気づいているだろう…』燧のお父さんが言葉を続けました。
   『銀太は、おまえのお父さんなのだよ。』
   ジョニーは、小さくうなずくと「やっぱり、ぼくのお父さんだったのですね…お父さんのことを聞かせてください。」
   と、しっかりした声で言いました。

   『ずっと以前、お前の父は、尾瀬沼を目指していたが、吹雪に阻まれこの頂のすぐ下で命を落としたのだよ。』
   お前の父は、残してきた家族のことを思っていたよ。とりわけ生まれて間もないお前のことを心配していたのだよ。
   だから、こうして、お前を助けにきたのだろう。お前に教えてやれなかったことを教えるために来てくれたのだよ。
   姿は見えなくても、これからも、きっと、そばにいてくれるはずだ。』
   
   燧のお父さんの言葉を、ジョニーは、じっと耳を傾けて聞いていました。
   そして、いままでの冒険を思い返していました。
   至仏のお母さんが、どうして、燧のお父さんを訪ねて行きなさいと言ったのか、今は、その訳が判りました。
   銀太と過ごした日々があったから、ジョニーは一度も逢ったことがなかったお父さんのことを知ることが出来ました。
   自分を愛してくれたお父さんの心を感じ取ることが出来たのです。
   ジョニーは冒険の旅に出て本当に良かったと思いました。

   「燧のお父さんありがとうございました。あなたを訪ねてきて本当に良かったです。
   ぼくは、これから尾瀬沼へ向かいます。尾瀬沼がお父さんの夢だったのならば、ぼくがその夢を叶えます。」と、
   ジョニーは胸を張って言いました。

   『尾瀬沼は美しいところだよ。見てご覧』と、燧のお父さんは、優しく言って。そっとジョニーの背中を押しました。
   すると、目の前の霧が晴れて眼下に白い山々の連なりが見え、遥か下の方に白い森に囲まれた真っ白な沼が
   見えました。
   そして、さらに遠くまで、幾重にも山々は連なり、ふりかえって西の方を見ると、白い尾瀬ヶ原の向こうに、
   懐かしい至仏のお山が聳えていました。

   『今は真っ白な世界だが、やがて春になると緑の森に囲まれた青く澄んだ沼になるのだよ。気を付けて行くがよい。』
   ジョニーは燧のお父さんにお別れを言って、ひとり尾瀬沼を目指し山を降りて行きました。


    8.旅の終わりに

 
   下山の道のりもけして楽ではなかったけれど、ジョニーはもう、ちいさな子どものおこじょではありませんでした。
   苦しく長い旅を続けるうちに、たくましい青年へと成長していました。
   深い雪道も、険しい崖も、銀太が教えてくれたことを思い出しながら慎重に降りて行きました。
   何日もかけて、ようやく沼に近付いてきたころ、激しい吹雪が吹き荒れて何日も降りこめられる日が続きました。
   ジョニーは雪洞を掘って、その中に身を潜め吹雪が止むのを待ちました。ある晩、ジョニーは不思議な夢をみました。
   それは白いおこじょの夢でした。夢の中でおこじょは、やさしい眼差しで、ジョニーに静かに語りかけました。
   『ジョニー、良くがんばりましたね。尾瀬沼に着いたら三本唐松の尾瀬塚を訪ねなさい。』
   そして、やさしい声で子守唄を歌いながらジョニーの頬をそっと撫ぜました。
   それは、記憶の中のお母さんの手でした。「お母さん…」ジョニーはうれし涙をこぼしました。

   そんな夢を見た翌朝、吹雪が止んで、青空が広がりました。
   ジョニーは、元気よく歩き、ようやく尾瀬沼に辿り着いたのです。
   「やったぁ〜!!ついに尾瀬沼に着きましたよ。お父さん!お母さん!あなたたちのお陰です。」
   やり遂げた達成感が、ひしひしとジョニーの胸に湧き上がってきて、幸せな気持ちでいっぱいになりました。

   ジョニーが三本唐松のそばに来た時、目の前に真っ白な雌のおこじょが現れました。
   ジョニーはドキッとして、胸の奥がキュンとしました。そして、慌てて挨拶をしました。
   「こんにちは…ぼくはジョニーと言います。至仏のお山からこの尾瀬沼にやってきました。」
   雌のおこじょは、くりくりとした黒い瞳でじっとジョニーを見つめていましたが、恥ずかしそうに挨拶をしました。
   『はじめまして…わたしはユキと言います。この三本唐松に棲んでいるのよ。』
   「ユキちゃん、素敵な名前だね。ほんとうに雪のように真っ白で綺麗だなぁ。」
   ジョニーは、ユキをひと目見た時、自分はユキに出逢うために尾瀬沼に来たことを悟りました。
   ここまでたどり着くまでの遠い道のりも、ユキに出逢うためにあったのだと思えたのでした。
   そして、ジョニーとユキは、仲良く暮らし始めたのでした。 

            

   それから、何度目かの春がめぐって行きました。
   長い冬が終わりを告げ、お日様の光が春が来たことを、そっと告げて回ると、森の中でたくさんの生き物が
   目を覚まし始めました。
   雪が解け、尾瀬沼の厚い氷も溶けてキラキラとした美しい青い沼が顔を出すと、沼のほとりには、雪よりも白い
   水芭蕉の花が咲き始めました。雪解け水の流れには、太陽のように明るいリュウキンカの花の道ができました。
   すべてが美しい春を歌っているようでした。
   ジョニーとユキの巣穴にも、春の日差しが差し込むと、三匹のおこじょの子供が、飛び出してきました。
   こどもたちは、三本唐松の枝から枝へと飛び渡りながら、元気よく遊んでいました。
   『スイ、トト、ララ、ご飯ですよ〜!』 ユキが子どもたちを呼んでいます。
   そうです。ジョニーは、生まれてきた子どもたちに、冒険の旅に出ることをを教えてくれたトンボの兄弟の名前を
   付けたのでした。
   巣穴から出てきたジョニーは、目を細めて子どもたちを見つめていました。
   いつの日か、この子どもたちも、冒険の旅にでることでしょう。

   
   
                          終わり