タイトル 地底旅団ROVER元老院第7回CAVING
サブタイトル 第1次小鹿野町藤倉地区洞穴探査
分 類 探査・探検ケイビング
入洞洞穴 [仮]二次生成物のある小穴/[仮]万造氏ディギング穴(後日、鐘撞穴と命名)/[仮]滴下水音のする穴/熊の穴第2洞/熊の穴第1洞
日 程 1998年10月18日(日)
参加者 千葉、雨宮、黒田、新井清右氏(地主)、新井万造氏(地主長男)、新井忠雄氏(小鹿野町役場)、霜鳥氏、A氏、B氏(以上、里人) 以上9名
長久保集落
軽トラに載って現地へ移動
熊の穴第2洞
「熊の穴」を確認
熊の穴第2洞
顕著なノッチ
6月に「熊の穴」の所在地を小鹿野町役場に連絡をとったところ、新井忠雄氏より、友人である地主新井万造氏紹介された。なんでも洞穴を探しているという。
9月26日、新井万造氏より「部落おこしの一環として探して欲しい」との正式依頼があり、この地区を探査、通称「ドンドン場」を探すことになった。
きっかけとなった資料には、次のように書かれている。

「武蔵国と上野境の地に、往来の街道に、人の踏む時は甚だ響く所あり。其辺の人々久しく怪しみいたりしに、寛政寅春里人寄合いて掘りうがちて試みしに、やがて金石の如く堅く響く所に掘りあたれり。すわやとて大勢集りて掘りたりしに、土中に空虚ありて里人一人落ち入りたり。人々驚きあわてて逃げのきたるに、土中よりはるかに其人の声して、助けてくれよと呼びけるにぞ、さては未だ死せざりしとて、皆々集り縄を下して引上げたり。其人に内はいかなるようにやと尋ねしに、何とも知れず、底には土がなく、ただ金石の如くに堅く、四方甚だ真暗にして、唯恐ろしかりければ動きも得せざりしというにぞ、さらばなおなお掘れとて其あたり広く掘りたりしに、大なる仏像の横さまになりて土中に埋もれたるなり。其仏像の腹に穴ありて里人仏像の腹中に落入りたりしなり。其大なること甚だし。庄屋など寄合いて、かかる物を掘り出さば、官所に訴えなどして一村の騒動なるべし。此ままに埋めておき事なきにしかずとて、件の穴の所には厚き板をあて、もとの如く埋め終れりとぞ。畠中観斎方へ東国より申し来りしとて物語りなりき」
※引用文献 橘南渓(1829)北窓瑣談


これには「武蔵と上野の国境の往来の街道」としか記されてないが、1970年代の藤倉寛三氏の調査報告「父不見山の謎」や、地元の伝承(ドンドン場)、宗教にちなんだ地名(寺平、鐘撞堂、寺沢)から、この藤倉地区の可能性が高いと判断したようである。


9:00、藤倉地区到着。地元の方々と挨拶しミーティングをおこなう。

10:00、地主が怪しいと考えている箇所へ移動、同時に山狩りを開始する。
各所を確認するが、あったとしても小規模なものである可能性が高いと感じる。

14:30、山狩り終了。昼食後「熊の穴」へ向かう。上下に2洞あるが、ノッチが確認できるだけの小穴であった。

16:00、新井宅到着。今後の打ち合わせをおこなう。

17:00、終了となった。(文責 千葉伸幸)


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