タイトル 地底旅団ROVER元老院第221回CAVING
サブタイトル 第13次龍泉洞再測量調査 at 岩泉町・龍泉洞
分 類 合同・調査ケイビング
入洞洞穴 龍泉洞(湧口、湧窟、龍泉窟)
日 程 2008年12月29日(月)〜2009年1月4日(日)
参加者 細野、村野て、荒木、菊地敏雄(日本洞穴学研究所)、松本力(東山ケイビングクラブ)、武繁俊哉、石山慎弥(以上、パイオニアケイビングクラブ)、山口慎也(明治大学地底研究部OB) 以上8名
龍泉洞前日本三大鍾乳洞のひとつとされる国指定天然記念物「龍泉洞」。本洞穴は透明度日本一という地底湖が見所である、岩手県岩泉町経営の観光鍾乳洞である。「平成17年度日本洞穴学研究所総会」において協議された結果、再測量を行う運びとなった。
今回は12月30日〜1月4日の期間で、非観光部「白亜宮」「白亜宮裏支洞」の測量を中心に計画された。


29日24:00、石山・細野・荒木は東京を出発。予定より遅れての出発ではあるが、入洞は翌日の夜からであるため、焦ることなく東北自動車道を北上する。
当初は千葉も参加予定であったが、仕事中、ステンレス片がふくらはぎに刺さり出血、24時間経っても止まらないということで急遽不参加となる。その後の連絡によると、無麻酔で縫合されたとのこと。聞いただけでも痛い。


30日6:00、矢巾SAへ到着。「やまなか屋・矢巾PA下り店」で冷麺を食す。外は昨年末第11次龍泉洞再測量調査(第207回CAVING)の吹雪とはうって変わり、道路の片隅に残雪があるのみ。

8:00、盛岡南IC到着。山口・松本と合流。盛岡市内のスーパーで買出しを行う。

9:00、岩泉町に向けて出発。途中少しの積雪はあったものの、雪景色という感じではない。

11:30、岩泉町到着。警察、消防署、龍泉洞事務局に挨拶後、宿舎である尼額公民館を借り受ける。

12:30、行きつけの焼肉屋「ママハウス」が休業だったため、昼食入手のためスーパーへ移動。途中、「泉金酒造」へ立ち寄り「しぼりたて生酒」を千葉宅へ郵送する。松本は合宿酒として1升を購入した。
宿舎へ戻り、昼食。


15:30、早めの夕食。前回までの夕食は活動直前に食していたが、お腹一杯ですぐ入洞するのはキツイと言う意見があったため、仮眠前に夕食をとってしまうようにしてみた。

18:00、起床。ブリーフィングを行い入洞準備。

20:00、入洞開始。
まずは全員で石山新支洞へ行き、スケッチ:石山、コンパス:荒木、メジャー:松本、スケッチ補佐(数値データ記録):山口、総補佐:細野として「今日中に終了」を目標に測量開始。
初測量である荒木は洞内でのコンパス読みになかなか慣れず、石山はスケッチに困惑し、牛歩測量となってしまう。細野はその間、全体像を把握するため離脱して確認を行なう。活動前に石山より聞いていた以上の規模であることが分かり、松本・山口に伝え「目標達成は無理だな・・・」と言い始める。

24:00過ぎ、補佐役が完全サポートに入って多少はスピードが上がったが、目標は達成できず。全体的にガレ場が多く、痛い場所が多い。直立できる場所も少なくて狭いという印象が強い。

30:30(6:30)、出洞。宿舎へ移動する。

32:00(8:00)、朝食。酒を飲み、次活動の作戦を練りながら順次消灯。石山の「4割は終わったのかな?」と言う質問に「2割程しか終わっていないよ」と答えたときの石山の驚いた顔が印象的であった。


大晦日14:00、起床。「龍泉洞温泉ホテル」。宿舎に戻って夕食準備。武繁さん合流。

15:30、前日に行ってみた早めの夕食は、深夜活動するにあたってはちょうど良い事が分かり、この時間に夕食をとることにした。夕食後、ブリーフィングにて班体制を組み直して活動準備。

20:00、「龍泉洞」に到着。全員が石山新支洞へ行き、2班に別れて活動開始。
メインルート測量班(細野・荒木・石山・武繁)は、前日より多少スピードは早まったものの、牛歩測量であることに変わりなし。斜面が続き、洞床は泥かグアノで滑るなか着々と進めていく。
支洞測量班(松本・山口)は、2人測量ではあったが作業は早く、支洞の全てを完了しメインルートの測量の補佐を行う。

23:30、年越しカウントダウンの時間が近づいてきた。「第3地底湖」へ集合、地底湖の水にてお湯を沸かして年越しそばの準備。年越しそばは何時食すのが本当なのか?との議論があったが、結局みな"年を跨いで"完食。コンサートで盛り上がりながら年越ししている人たちの話になるが、ケイバーだから穴の中で年を越せるのが幸せ、ということで落ち着く。

29:00(5:00)、出洞。7割程度までしか進まず・・・。何とかならないものかと頭を悩ます。

31:30(7:30)、朝食。次活動で石山新支洞を終了させると決意し、順次消灯。


元日15:00、起床。石山は体調不良を訴え、風邪の症状が見られたため休養。他は「龍泉洞温泉ホテル」にて入泉。新春くじが実施されており、木製玩具等を入手する。数個は細野が貰い受けた。くじってやつは何時やっても何が出るかドキドキするものだ。宿舎に戻って夕食準備。村野合流。

17:00、夕食後のブリーフィングで班体制を組み直して活動準備。石山の体調が回復しなかったため、宿舎待機となった。石山はすこぶる残念がっていた。

20:00、「龍泉洞」に到着。3班に別れて活動開始。
石山新支洞班(荒木・武繁・細野)とホール放射測量班(松本)は小さいコウモリコロニーを確認した数メートルを残し終了した。
三日月ルート上層部測量班(村野・山口)は、村野が「三日月ルート」を登るのは、実に2年ぶりのことである。ルート名の由来となった「三日月(竪穴の通路半分がフローストーンに覆われた崩落岩によって塞がれ、通路の断面が三日月型になった個所」)は2年経ってもやっぱり狭かったが、村野は難なく通過。中年太りになるのはまだ先のようである。一方、山口君は竪穴装備装着のままでは通過できず、竪穴途中でこわごわ装備を外しての通過となった。「三日月ルート」上層の横穴部から測量開始、上から下に基線を延ばし、「三日月」で前回のポイントに接続して測量を完結させた。

29:00(5:00)、出洞。宿舎へ移動する。

31:30(6:30)、朝食。石山新支洞の基線を確認し、酒を飲み、順次消灯。


2日15:00、起床。「龍泉洞温泉ホテル」にて入泉。菊地さん合流。これからの活動計画を練り直す。石山の体調不良は回復せず、今晩の活動も見送ることとなる。

17:00、夕食後、活動準備。

19:30、「龍泉洞」に到着。3班に別れて活動開始。
第8地底湖上部アタック班(村野・山口)では、残念ながら通路は収束しており、そのまま撤収となった。
第2斜洞上部竪穴フリーアタック班(松本・細野)と水晶宮〜白蝋宮ファン班(菊地・荒木・武繁)は、初SRTの荒木レクチャーを行いながら「水晶宮」へ登り、なぜか「第2斜洞」を下ったため、フリーアタック班は何もできないまま「白蝋宮」へ行くことになる。完全なファンケイビングになってしまった。

28:00(4:00)、出洞。宿舎へ移動する。

30:00(6:00)、朝食。アタック班の残念な報告を聞きつつ、順次消灯。


3日14:00、起床。「龍泉洞温泉ホテル」にて入泉。石山の体調は回復した。

16:00、夕食後、ブリーフィングを行い、活動準備。

19:00、「龍泉洞」に到着。白亜宮の放射測量班(村野・松本・山口・細野)とコウモリ確認班(菊地・武繁・石山・荒木)の2班に別れて活動開始。蝙蝠は「コウモリ穴」以外の場所では殆どが冬眠していなかった。先日に洞内イベントのフラメンコを行った時の影響があるのではないだろうか。

27:00(3:00)、最終日のため早めに出洞。宿舎へ移動する。

28:00(4:00)、残り物で朝食。酒を飲み、順次消灯。


4日10:30、龍泉洞事務所に挨拶。岩泉町を出発する。

12:30、盛岡市内「ぴょんぴょん舎・稲荷町本店」にて冷麺を食す。

20:00、東京到着。順次解散となった。


石山新支洞測量では、初測量者が半分を占め、レクチャーをしながら測量であったこともあり、予想以上に時間がかかってしまった。未測量部分を完了させ全容を確認したい。
希望であった「第8地底湖」の上部は望みがないことが判明した。「第7地底湖」上部に希望をもちたい。「第3地底湖」上部の竪穴アタック、白亜の議事堂周辺の測量等の課題が増えてきているので、端から片付けて行ければと思う。(文責 細野誠・村野哲雄)
尼額公民館 龍泉洞・第3地底湖 龍泉洞
差し入れのチョリソー群(石山慎弥氏撮影) 年越しそばは第3地底湖で(石山慎弥氏撮影) トラバースを進む荒木(武繁俊哉氏撮影)

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