タイトル

地底旅団ROVER元老院第104回CAVING

サブタイトル 奥多野かんな姫計劃・第11次神流町立処山洞穴調査
分 類 調査ケイビング
入洞洞穴 立処鍾乳洞(立処山の鍾乳洞、立処鍾乳洞第1洞、立処山第1洞、井戸穴、大黒洞)、立処西尾根の小穴(旧:立処西尾根のバナナ穴)、立処西尾根の風穴、立処西尾根の珊瑚穴(旧:立処西尾根のテトラ穴)、ちゃんから穴(珍空穴、チャンカラ洞、恐竜洞)、不二洞(申の穴、庚申の穴、大福寿穴、福寿山の穴、不二穴)
日 程 2003年7月12日(土)〜13日(日)
参加者 宮野原、千葉、村野て、細野、黒田、大池、弭間亮、小山光弘、泉美鶴、小林哲也、田中僚、小岡薫(以上、立正大学探検部) 以上12名
古鉄橋「奥多野かんな姫計劃」の一環として企画された。
立処山は1980年に「明治大学地底研究部」によって洞穴探査及び測量がなされているが、地主の話によると未報告の洞穴が多数あるようなので洞穴探査・測量を行うことにした。
今回は「立処鍾乳洞」のポケットコンパスによる再測量および洞内写真撮影、立処西尾根の洞穴3洞(通称:バナナ穴・風穴・テトラ穴)の再測量、「立処魚穴」の追加スケッチ、地上測量の起点となる445m標高点の確認、そして立正大学探検部との懇親を目的として企画された。


12日20:00、宮野原・千葉・細野・黒田が府中を出発。

21:30、東京都瑞穂町にて村野合流。

24:00、地主宅「木古里山荘」に到着する。既に立正大探検部のメンバーが到着しており、薄味の豚キムチ、塩気のない塩ハツ、水で茹でただけの枝豆などを振る舞われる。少憩後、千葉による第2回測量講習会が開催される。今回は製図方法、測量活動時の注意点などのほか、報告書作成方法、新洞探索のポイントなどを千葉自らの経験等を交えてレクチャー。立正大の弭間君や小山君からは質問も飛び出し、興味を持って聴講してくれたようである。

26:30、消灯。


13日7:00、起床。

9:00、「木古里山荘」を出発する。地R元は立処山登山を開始。立正大学探検部は「不二洞」観光に向かう。

9:30、「立処鍾乳洞」に到着。ここで2班分流となる。

【立処班(千葉・村野・大池)】
第10次神流町立処山洞穴調査に引き続き、「立処鍾乳洞」の再測量を行なう。体制はスケッチ千葉・コンパス大池・メジャー村野。

10:00、入洞開始。前回の最終ポイントから測量を再開する。大池はトランシットコンパスの扱いにだいぶ慣れてきたようで、前回よりはスムーズに活動出来た。しかし「鯨の腮ホール」へと向かうフローストーンに覆われた−35度斜洞では千葉が滑って高価なポケットコンパスにタックルを加えそうになったり、大池がヘルメットを突然落としてコンパスを倒しそうになったりと、かなりリスキーな場面もあった。
また、同地点で3人集まってリュウガトゲトビムシを観察中、偶然にも水に沈む古銭を発見。さすがに古くから知られている洞穴だけあるものである。腐食が激しいが中央の四角い穴を取り囲むように「元」「寳」「景」などの文字を読むことが出来た。この古銭はとりあえず村野が保有することとなる(そしてこの古銭が後ほど村野てを奈落の底に突き落とすこととなる。この地点にはきっと悪霊が棲んでいるに違いない)。
最奥部となるプール「霊水」のある空間で放射測量を行ない、「立処鍾乳洞」の再測量を完結させた(ちなみにプールはこの時期は水が涸れていたが、水深は最大で1.5mほどになるものと推測された)。
今回の測量で新たに支洞2ヶ所およびループ1ヶ所が追加された。新支洞の一方は側壁の一部にヘリクタイトが観察された。またもう一方は天井高が低い上に滴下水と粘土が堆積してたんぼ状態となっていた。村野はここに捨て身で匍匐前進で突入したのだが、後で千葉・大池からまるで"汚物"を見るような目を向けられることとなった。
洞口へ引き返しながら洞内写真撮影およびマーカー回収を行う。

17:30、出洞、活動終了となった。
なお、今回洞内天井高測定用に持参したレーザーディメンジョンマスター(レーザー測量器)は洞内ではエラーが出てしまい、まったく使い物にならなかった。

大池は「ちゃんから穴」で迷っている立正大学に合流、無事救出した。
神流川の河原へと下り立ち、装備を洗っている最中に村野に悲劇が襲いかかった。装備を袋に出し入れしているうちに、いつのまにか例の古銭を紛失してしまったのである。河原を捜しまわるも見つからず、大いにヘコんでいるところに更に、活動報告時になって文字の位置の記憶が間違っていたことが判明。ダブルショックを受けることとなった。


【立処西尾根班(宮野原・細野・黒田)】
第10次神流町立処山洞穴調査において測量した4洞のうちの3洞の再測量、補足を行なった。

10:00、「[仮]立処西尾根のバナナ穴」到着。スケッチ宮野原・コンパス黒田・メジャー細野の体制で測量を開始。目的であった高低差の確認した。

10:30、測量終了。正式名称を「立処西尾根の小穴」(宮野原命名)とした。

10:40、「[仮]立処西尾根のテトラ穴」到着。スケッチ細野・コンパス宮野原・メジャー黒田の体制で測量開始。前回スケッチの不備点が多かったため、黒田による軽いスケッチ指導を行ないながらの測量となった。また、コンパス読みの精度も課題であったため、今回は1ポイントずつしっかり確認をしながら進めた。

12:30、黒田のお腹が鳴り止まないため昼食をとる。細野のパンは行きの車中で千葉によって潰されていた・・。

16:10、再び測量を始める。するとなんと、新空間を発見してしまった。嬉しいような、嬉しくないような・・。人為的に閉じられていたその支洞は、洞床が湿っており、風の流動も感じられた。奥には小動物の骨の一部が落ちていた。また、黒田がキセルガイを発見、仲良くなったのでお持ち帰りする。

16:30、巨大カマドウマと格闘しながら測量終了。なお、この洞穴は洞穴サンゴが非常によく発達しているので、正式名称「立処西尾根の珊瑚穴」(宮野原命名)とした。

17:00、「立処西尾根の風穴」到着。スケッチ宮野原・サポート黒田の体制で、縦断面図の作成と前回のデータ補足を行なう。スケッチをしながら最奥に進み、データ記載漏れのあった箇所の確認をした。

17:30、野ねずみ君に遭遇後、測量終了。気付けば今回も「立処魚穴」には行けなかった・・・。


【立正大学探検部】
「不二洞」観光の後、「立処鍾乳洞」ファンケイビングを行なった。
昼食後、立処山登頂をし、ついで「ちゃんから穴」ファンケイビングを行なったが、洞内で進路を喪失し、大池の救援によって無事出洞した。


19:30、「木古里」にて夕食、各班の活動報告を行なう。

21:00、「木古里」発、解散となった。


今回の追加・再測量により「立処鍾乳洞」は総延長216.3m、高低差31.4mとなり、1999年測量により得られた総延長158.2mを大きく上回る結果となった。また立正大は田中君、小岡君が初ケイビング体験、弭間君、小山君、小林君の3名は2度目の活動参加となった。洞穴に興味を持ってもらえることは我々としても嬉しい限りである。
立処山・叶山麓の洞穴は現在28洞確認、17洞測量済み。(文責 村野哲雄・黒田さち子)
主洞 霊水付近 鯨の腮ホール
大池のコンパス読み 村野の汚物化 フローストーンの発達した鯨の腮ホール

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