タイトル 地底旅団ROVER元老院第101回CAVING
サブタイトル 奥多野かんな姫計劃・第10次神流町立処山洞穴調査
分 類 調査ケイビング
入洞洞穴 立処鍾乳洞(立処山の鍾乳洞、立処鍾乳洞第1洞、立処山第1洞、井戸穴、大黒洞)、[仮]立処西尾根の貫通穴、[仮]立処西尾根のバナナ穴、[仮]立処西尾根の風穴、[仮]立処西尾根のテトラ穴、ちゃんから穴(珍空穴、チャンカラ洞、恐竜洞)
日 程 2003年6月14日(土)〜15日(日)
参加者 千葉、宮野原、村野て、細野、黒田、大池、小園、梶浦岳、弭間亮、小山光弘、小林哲也(以上、立正大学探検部) 以上11名
「奥多野かんな姫計劃」の一環として企画された。
立処山は1980年に「明治大学地底研究部」によって洞穴探査及び測量がなされているが、地主の話によると未報告の洞穴が多数あるようなので洞穴探査・測量を行うことにした。
今回は第5回田戸呂山之記解読会にて2mほどの未測量部分が発見された「立処鍾乳洞」のポケットコンパスによる再測量および洞内写真撮影、立処西尾根の洞穴4洞の測量、立処魚穴の追加スケッチ、榛名山信仰祠の拓本とり、そして地上測量の起点となる445m標高点の確認を目的として企画された。


古鉄橋付近
集合写真
榛名山信仰祠
村野による拓本作業
榛名山信仰祠
右から「瀬林 間物 明家」と読める
立処鍾乳洞
トランシットコンパスによる測量
14日20:00、千葉・細野・宮野原・小園・黒田が府中出発する。

23:30、地主宅「木古里山荘」に到着、立正組(大池・立正大学探検部)と合流する。立正大とは初対面のため、軽く飲みながら自己紹介などを行なう。

24:30、村野が合流。全体ブリーフィングを行なった後、地R元は千葉講師による測量講習会を開催する。測量の目的から始まり、基線の張り方、各種コンパスの使い方など、基本的な事柄をみっちりと学習した。
25:00、消灯。


15日7:00、起床。

8:30、「木古里山荘」を出発する。曇り空の下、立処山登山を開始。相変わらずの険しい急登である。大池はややヘタリ気味となり、力なく山道を登る後ろ姿とは対照的に、背中には洞内天井高測定用に持参したイルカ形のヘリウムガス風船(愛称:ルビーちゃん)が何とも楽しげに浮かんでおり、えもいわれぬ哀愁感を醸し出していた。
「立処鍾乳洞第2洞」直下で榛名山信仰祠への道に入る。足場の悪い崖をよじ登り、何とか全員無事に祠に到着。狭い棚のような境内に総勢10名がひしめき合い、ここにこれだけ人が集まるのも画期的なことと思われる。立正組はオーバーハングした石灰岩等を指差し楽しそうであった。

9:00、村野が榛名山の石祠の拓本とりを開始する。これは第5回田戸呂山之記解読会において肉眼での判読が困難であった祠の左側面に刻まれた文字を、拓本を採取することで解読しようと試みたものである。村野は自力での拓本とりは初挑戦であったため、興味津々と周りに集まる観衆の目に若干のプレッシャーを感じつつも、ちょっとワクワクしながら少しずつ墨付けを行なっていく。そして文字らしいところに墨付けを行なうと、お〜っ、出た出た! 右から縦書きに「瀬林 間物 明家」という集落名が現れてきた。作業を見守る千葉や黒田らもこれには感心していたようだが、誰よりも驚いたのはおそらく村野本人であろう。これで、右側面「天保六年 未四月八日 神原村 三津川」から左側面に続き、「瀬林 間物 明家」と、当時の神ヶ原村の各集落名が書き列ねてあるいうことが明らかとなった。

9:30、拓本取り作業終了。ここからは4班に分かれて活動を開始する。


【立処班(千葉・大池・村野)】
「立処鍾乳洞」の再測量を行う。体制はスケッチ千葉・コンパス大池・メジャー村野。
支洞を一つづつ詰めながら洞奥に向かう。予定ではこの日1日で測量を完了させるはずであったが、大池が不慣れなトラコンの扱いに手こずり、大幅なロスタイムとなってしまったため主洞を半分ほど進んだところでタイムアップ。測量の続きおよび洞内写真撮影は次回に持ち越しとなる。また、ルビーちゃんは洞内では冷気のため全く上昇せず、足元を不気味に漂うありさま、挙げ句の果てはちょっと目を離した隙に呼吸効果によって勝手に洞外への逃亡を図るなど、まったく何のために連れてきたのか分らない代物となってしまった。しかし、イルカの風船を洞内に持ち込んだのも我々が少なくとも国内初なのではないかという気もするし、ある意味で貴重なのかも知れない。なお、今回の測量で新支洞2ヶ所および新ループ1ヶ所が発見された。

18:00、出洞。下山を開始して活動終了となった。445m標高点の確認は、「木古里」到着時には日没となってしまったため、次回に持ち越しとなった。


【立処西尾根班(宮野原・細野・黒田)】
立処西尾根の洞穴4洞の測量を行う。

10:30、「[仮]立処西尾根のバナナ穴」測量開始。発見当時はバナナ型だと思っていたが実は全くそんなことはなく、宮野原=嘘つきとなる。5mの基線2本の小穴であるが、スケッチマン宮野原の不慣れから50分もかかってしまう。

11:30、「[仮]立処西尾根のテトラ穴」測量前に昼食をとる。目下に小さく神ヶ原集落が見える洞口で、落下→走馬燈→死という方程式が浮かぶ。しかし、なぜか快感だった。

12:00、測量開始。発見当初は3洞口だと思われたが、実は4洞口であることが判明。崩落ループに手こずり、150分もかかって測量終了した。

15:00、「[仮]立処西尾根の風穴」測量開始。ここは絵巻「田戸呂山之記」に記述されている匍匐前進をする風穴と推測される洞穴である。洞内に小さなリムプールなどがあり感動を覚えた。120分で測量終了。測量に飽きた細野は一足先に下山する。

17:20、「[仮]立処西尾根の貫通穴」測量開始。途中メジャーが行方不明になり捜索。もたついたことにより7mの小穴を40分かかって測量する。

18:00、宮野原・黒田は下山開始、活動終了となった。


【小園】
独り「木古里」に残り、十石味噌を買いに行ったり、地主孫娘:野々香と遊んだりしながら、報告書編集作業を行った。


【立正大学探検部】
「立処鍾乳洞」ファンケイビングの後、立処山頂に立ち、ついで「ちゃんから穴」ファンケイビングを行なった。


19:30、「木古里」にて夕食、各班の活動報告を行う。

20:30、「木古里」発。

21:30、「武甲の湯」に入泉し、解散となった。


今回は地R元としては初のポケットコンパス使用による測量、ヘリウムガス風船による天井高測定の試み、本格的「測量講習会」の開催等、多くの知識と技術を体得できる機会となった。まだ不慣れなところも多いが、今後も積極的に測量活動を行ない、各人のスキルアップを目指したいものである。
また、立正大学探検部は大半が初ケイビング体験ということで、地味な洞穴ながらも大いに楽しんでもらえたようである。今回は時間の都合上、充分な交流の時間を持てなかったが、また機会があれば活動をともにする時間を持ちたいものである。

立処山・叶山麓の洞穴は現在28洞確認、16洞測量済み。(文責 村野哲雄・宮野原弘規)

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