埼玉県
洞穴名
強清水鐘乳洞B(こわしみずしょうにゅうどう)
別 名
強清水の鐘乳洞B
所在地
埼玉県飯能市
規 模
総延長約35m 高低差?m
伝 承
地元民の伝説に、昔この市へニワトリを追い込んだところ、翌朝、坂石町分法光寺所有の吾野駅南西にある鍾乳洞(中に観世音が祀られており岩殿観音という)へ抜けた。従ってこの二つの鍾乳洞は連なっているという言い伝えが残っている。
参考文献
飯能市史編集委員会 (1986) : 飯能市史資料編]U(地形・地質)

洞穴名
岩殿観音石龕窟(いわどのかんのんせきがんくつ)
別 名
観音窟、岩殿観音窟、岩殿観音、観音窟石龕
所在地
埼玉県飯能市
規 模
総延長約?m 高低差?m
伝 承
昔この洞窟がどのくらい深いか試してみようと、ある村人が首に米袋をさげた鶏を入れたら、秩父の三番寺へ出たそうだという話が伝わっています。
備 考
南北朝時代1346年に比丘元燈が建立、以来多くの信仰を集めた。江戸時代の「新編武蔵風土記稿」にも載っていたが、昭和初期から始まった石灰岩採掘のために周囲は荒れ、その存在は忘れ去られつつあった。2006年に改修工事がされ、再び日の目をみることなった。周辺には一斉窟、弁天窟、山姥穴もある(あった)とされている。埼玉県指定重要文化財。
また、上記の「強清水鐘乳洞B」にも通じているとされている。
なお、秩父の三番寺とは、秩父市山田の岩本山常泉寺のことである。
参考文献
~山弘 (1951) : ものがたり奥武藏

洞穴名
尾須沢鍾乳洞(おすざわしょうにゅうどう)
別 名
河又鍾乳洞、コウモリ穴
所在地
埼玉県飯能市
規 模
第1洞=総延長約55m 第2洞=総延長約20m 第3洞=総延長約35m
伝 承

名栗から中沢へ越える峠の上で、三人の木樵りが休んでいると、宮本さんという名栗村の神主さんが登ってきて、しばらくいっしょに四方山話をして別れました。ところがそれから二時間ばかりたって、また木樵りが休憩していると、その神主さんが着物をボロボロにしてやってきました。どうしたのかわけを聞きますと、自分では村へ帰るつもりなのに、いつまでたってもつかず、今まで山中を歩いていたのだと、気が抜けたようなことを言うので三人で家までつれていってやったというこです。
河又部落の東のオス沢のコウモリ穴には、古貉が住んでいて、この話のように人をよく化かしました。夜道で坊主頭で提灯をつけてくるのは、必ずこのむじなであるといわれていました。村の人はなんとかしてこれをとらえようと考えて、穴の入口にヒッタクリという針金のわなを造っておきましたが、翌朝行ってみるとその太い針金も切りとられているのでした。
それから数ヶ月たった後、ある猟人が狩りに山へ入ると、大きなけものが犬に追われて、木へ登っているので撃ちとりましたら、毛が白くなっている貉でした。貉で白毛が生えるというのは、よほど年を経たものだそうですから、喜んで家に帰りさっそく毛皮をはがすと、腹のところですっぽり半分にちぎれてしまいました。よく見るとそこには針金が食いこんでいるので、これがコウモリ穴の古貉であったと知ったそうです。せっかくの毛皮が二つに切れてしまったのでは売物にならず、猟師はがっかりですが、おかげでそれからは村には怪異がなくなったということです。

参考文献
~山弘 (1951) : ものがたり奥武藏

洞穴名
竜宮の穴(りゅうぐうのあな)
所在地
埼玉県比企郡ときがわ町
規 模
総延長?m 高低差?m
伝 承

昔は会合を行う場合この穴の前にきて、天狗さん食器を貸してくれと言いますと、翌朝必ず要求した数通りの椀が出ていたそうです。ところがある時、この借りた椀かえさなかったら、それからは頼んでも出なくなってしまったと言い伝えています。
ある時この竜宮の穴を探検しようと勇気のある村人が、からだに綱を結んで穴の中に入りました。途中まで下りますと地の底から話すように、危い危いという声がしきりにするので、綱を曳いてもらって上ると綱が途中で切れかかっておりました。これは天狗が入ってはいけないというしるしだろうと、それからは穴に入った人はいないそうであります。

備 考
竜宮の穴は、平村の泉沢川ほとりの多武ノ峰にあるとされている。
参考文献
~山弘 (1951) : ものがたり奥武藏

洞穴名
地獄穴(じごくあな)
所在地
埼玉県秩父郡小鹿野町
規 模
総延長約15m 高低差13m
伝 承
ニワトリを投げ入れたところ、約400m離れた麓の富田集落に出てきたという伝承がある。
備 考
−13mの竪穴。
参考文献
地R元によるヒアリングで入手

洞穴名
日影指の穴(ひかげざすのあな)
所在地
埼玉県秩父市?
規 模
総延長?m 高低差?m
伝 承

影森の鐘乳洞に続いているといわれていました。この穴の入口は一畳敷ぐらいの大きさで、大石が中央にさしわたしてありますが、これは落ちると危険なので、秩父重忠がつっかい棒にしたのだという伝説があります。

備 考
影森の鐘乳洞とは、秩父市上影森の「橋立鍾乳洞」のことである。
参考文献
~山弘 (1951) : ものがたり奥武藏

洞穴名
神庭鍾乳洞第2洞(かにわしょうにゅうどう)
別 名
バチ岩
所在地
埼玉県秩父市
規 模
総延長約45m 高低差?m
伝 承
ある時、この洞穴はどれ程深いか試してみようとして、中に鶏を追いこんでみた。すると、間もなく楢平の風穴から件の鶏が元気に出てきたという伝承がある。
参考文献
太田巌 (1983) : 奥秩父の伝説と史話

洞穴名
蛇塚の岩穴(へびづかのいわあな)
所在地
埼玉県秩父市
規 模
総延長?m 高低差?m
伝 承
中津川の上流の神流川を川下へ下ってきた一人の行者は、小双里の集落までやってきて、素晴らしい滝を発見した。彼はその上方で庵を結ぶことを決心して、大きな岩穴(鍾乳洞)に入った。その岩穴に観音像を彫刻して安置し、その岩を観音岩と名づけ、また前の沢を日本武尊に因んで"くさなぎ沢"と命名した。ある日、観音岩の前に大小様々の蛇が、岩や木に巻きついて塚のようになり、通行人が戦いて通れずに困っていた。すると件の行者が来て熱心に読経と祈祷を捧げ、蛇を退散させた。そして、再び出て来ないように大蛇を下の不動滝に祀り、小蛇達をくさなぎ沢の七つの小さな淵に祀り込んだので、その後はこのようなことはなくなったという。
参考文献
太田巌 (1983) : 奥秩父の伝説と史話

洞穴名
仏石山鍾乳洞(ぶっせきさんしょうにゅうどう)
別 名
仏石山の鐘乳洞、仏石山宝正寺洞窟
所在地
埼玉県秩父市
規 模
総延長115m 高低差14m
伝 承
元禄の頃、僧侶が一人ここに庵を結んでいたが、妖怪に脅かされ、半年もたたずに退散してしまったという。
参考文献
太田巌 (1983) : 奥秩父の伝説と史話

洞穴名
石舟沢の風穴(いしぶねさわのふうけつ)
所在地
埼玉県秩父市
規 模
第1洞=総延長約10m 第2洞=総延長約25m
伝 承
舊幕時代、銃器の取締の喧しかつたとき、中津川の鐵砲を皆結へて、石舟澤の或る岩屋へ隠匿して置いた所が、六晝夜穴が鳴り通しだったという伝承がある。
参考文献
原全教 (1935) :奥秩父 續篇

洞穴名
上ノ潜穴(うえのくぐりあな)
別 名
神流川貫通洞
所在地
埼玉県秩父市
規 模
総延長約70m
伝 承
昔は水が通つてゐたのであるが、安政年間、上流の六助澤で鑛抗を掘つてゐたとき、ある日の凄まじい豪雨に、一人の鑛夫が誤つて激流に墜落し、これがずつと下流の、濱平の上の菅平へ流れ著いたのであるが、潜穴の上の入口に祀つてある山ノ~が、死人を穴へ通すのが嫌で本流に流し、それ以来流路は變更されてしまつたさうである。
参考文献
原全教 (1935) :奥秩父 續篇
 

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