東海道五十三次

  

江戸期以前の東海道

 東国と京(都)を結ぶ東海道は古来より政治的、軍事的に重要な交通路でした。

 大和朝廷は東国支配の為にこの道を設けたと言います。

 鎌倉の地に幕府を開いた源頼朝はこの街道を掌握し、小田原征伐に向かう豊臣秀吉は軍用道路として充実させました。

近世の東海道

神奈川宿 台町田中屋

 慶長五年(1600)関が原の合戦に勝利した徳川家康は天下人となり、江戸幕府の体制を確充する諸政策に着手しました。

  翌、慶長六年(1601)
伝馬制が施行され、東海道の整備が開始されました。

 伝馬制とは街道に
宿場(宿駅)を設置し公用の役人等の通行物資の運搬、情報の伝達業務の為に人馬と宿を提供させる制度です。

 東海道には川崎、戸塚、箱根、岡部、袋井、石薬師、庄野宿等が新設され、五十三の宿場が正式に設けられたのは伝馬制の施行から二十三年後の寛永元年(1624)でした。


東海道の賑わい

薩堆峠から望む富士 広重の原風景

 東海道には箱根と新居(今切れの渡し)の二ヶ所に関所が設置され、「入り鉄砲に出女」が厳しく取り締まられました。

 天下の険「箱根」、難所「大井川」を控えていましたが、温暖な気候の為、年間を通しての通行が可能でした。

 寛永十二年(1635)参勤交代が制度化され東海道は往来する諸大名(約百五十藩)や役人、一般民衆の神社仏閣参りや物見遊山の旅人で大いに賑わったと言われています。

 江戸方からのお
伊勢参りの参詣客は四日市宿の先、日永の追分から伊勢参宮道に進路を換え伊勢大神宮に向かいます。

 十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」の弥次、喜多は当初この伊勢参宮道によるお伊勢参りの旅でした。

 一方上方からの参詣客は関宿より伊勢別街道に入りお伊勢さんに向かいました。

 その結果、四日市宿と関宿に挟まれた石薬師、庄野、亀山宿ははなはだ振るわない宿であったとも言われています。

行 程

      1   2   3   4   5   6   7   8   9   10   11   12   13   14   15   16   17   18   19   20   21   22   23   24   25   26   27   28   29   30   31   32   33   34   35   36   37   38   39   40   41   42   43   44   45   46   47   48   49   50   51   52   53    
宿

 








神奈川 程ケ谷

 塚







小田原












































白須賀

















四日市 石薬師















宿間
km
  7

1
  12

6
  8

9
  5

1
  9

3
  8

0
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  4

1
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3
  16

5
  14

7
  5

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  8

6
  14

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  6

0
  7

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  4

1
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0
  8
・7
  7

9
  6

0
  6

0
  7

9
  10

1
  8

6
  12

2
  11

6
  6

1
  7

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  7

6
  7

2
  11

6
  2

1
  10

9
  10

0
  12

1
  12

3
  7

5
   ⇒     15

9
  11

1
  4

3
  9

1
  5

9
6

6
  9

8
  11

0
  14

4
  10

4
  14

8
  10

9
 
國名 武蔵國 相模國 伊豆 駿河國 遠江國 三河國 尾張國 伊勢國 近江國 山城
30km行程 @ 28.6km A 35.8km B 21.4km C 31.2km D 36.0km E 30.0km F 30.7km G 30.0km H 32.4km I 28.8km J 34.6km K 31.9km   L 31.3km M 31.4km N 35.8km O25.7km
40km行程 @ 43.0km A 42.8km B 36.7km C 43.5km D 39.8km E 37.9km F 45.9km G 39.4km H 41.9km   I46.3km J41.8km K36.1km
50km行程 @43.0km A 42.8km B 44.5km C 52.7km D 50.6km E 56.0km F 49.4km G 47.8km(七里の渡し区間は交通機関を利用) H 57.8km I 50.5km
60km行程 @ 64.4km A58.1km B 60.5km C 60.7km D 60.7km E 66.5km   F 62.7km G 61.5km
歌川広重 @ 43.0km A 42.8km B36.7km C 48.4km D 48.8km E 44.8km F 53.6km G 52.8km   H 27.0km I19.3km J52.2km K25.7km
土方歳三 @ 43.0km A 42.8km B 36.7km C 43.5km D 47.7km E 38.6km F 37.3km G 49.4km H 31.9km I 15.9km J 46.8km K 35.8km L 25.7km
往時平均 @ 43.0km A 42.8km B 31.2km C 36.0km D 44.1km E 28.6km F 38.8km G 53.6km H 52.8km I 15.9km J 24.5km K 22.3km L 35.8km M 25.7km

宿間距離は「宿村大概帳」の距離換算ではなく、街道ウォークの継立てがし易いように宿内の主要交通機関等に設定してあります(詳しくは「街道マップ」を参照してください。

歌川広重は参宮上京道中双六の行程です。

土方歳三は大政奉還の急報を受け慶応三年十月二十一日出立した時の行程です。

往時平均とは晴天で川留めがないと仮定した江戸時代の平均行程です。

東海道は江戸日本橋から京三条大橋まで 

 宿村大概帳  百二十六里六丁一間
 実     測  496.1km


※ この実測距離数値は国土地理院の1/25,000地図をトレースしたものです。

※ 「
今切れの渡し」に関しては弁天橋、浜名橋渡しとして加算し、「七里の渡し」に関しては電車渡しとして割愛して計算しています。

フィールド

 東海道に関しては年間を通してのウォークが可能であり、交通機関のアクセスが容易です、日帰りの「尺取虫」方式でも、通しの宿泊ウォークの何れも可能です。

 東海道の素晴らしさは、海、川、山がバランス良く配置され、海道は天の川の星の如く無数な歴史が光り輝いているところです。

 東海道は「King of 街道」です、サア「 東海道ウォーク」に繰り出してみましょう、東海道マップ刊行してあります、お役立て下さい。

道中日記 「東海道ウォーキング」の記録です、マップと照らし合わせてお読み下さい。