会員コラム


会員による、コラム、エッセイをまとめました。
山にまつわる四方山話や独断語りなどなど。
タメになるようなならないような・・・。
まじめな話からオモシロネタまで、エピソ-ドの数々をお楽しみください。

第一回 ACC−Jの歩み 木村
第二回 北関東の山なし県 sak
第三回 西上州・碧岩北西壁 ガストン

ACC−Jの歩み  木村


ACC−J茨城がACC−J茨城支部として創立してから今年で35年を迎える事が出来ました。
この節目の年にACC−J茨城の歩みを振り返って見たいと思います。

 東京仙岳会から退会した水島氏、神田氏、谷川氏が中心になり14名で発足したのが1962年(昭和37年)。
会の名称はオーソドックスな中に前衛的な登山を目指すのに相応しく『アルパイン・クライミング・クラブ・オブ・ジャパン』と命名。

クラブの目標が夏の岩登りだけでなく、冬の岩壁登攀を目標として発足した精神はその後も脈々と受け継がれ、当時としては1泊2日が常識であった冬の八ヶ岳赤岳西壁、横岳西壁への夜行日帰り山行が当たり前になり、更には北岳バットレスや甲斐駒ケ岳赤石沢奥壁への夜行日帰り山行へと発展していきました。

国内の岩壁で技術を磨いた会員は必然的にヨーロッパアルプスへと足を伸ばし、マッターホルン北壁、アイガー北壁、グランドジョウラス北壁、ドリュー北壁、ピッツバディーレ北壁。クルト。ドロワット北壁等の主要北壁の登攀に成功した。冬期においてもグランドジョラス北壁中央クロワール、ドロワット北壁クジールートの初登攀に成功して足跡を残しています。
国内においても明星山P6南壁に本図氏が中心になりACC−Jルートを開拓するなど前衛的な登攀中心の山行が実践されていった時代でした。

その後、茨城に帰った本図氏がACC−J茨城支部創立を呼びかけ、創立会員として木村他2名が参加したのが1973年(昭和48年)8月でした。
茨城支部の会員同士で冬の岩壁登攀を目標に、毎週々山行を実践し夏は谷川岳一ノ倉沢の登攀。冬は八ヶ岳西壁の登攀で登攀技術を磨き、厳冬期北穂滝谷の登攀や厳冬期一ノ倉沢の登攀がが出来るようになるまで成長しました。
そうなると当然海外の山にも目が向き、1976年(昭和51年)にヒンズーラジのブラッツヨース(6,191m)に本図氏が隊長になりACC−J合同隊として木村、杉山、金、阿部の5名が意欲を持って遠征した。
しかし、ベースキャンプが土石流に流されるアクシデントに遭い装備と日数不足の為に敗退したが、ブラッツヨース(6,191m)は圧倒的な岩壁に囲まれ未だその頂きを踏んだ者はいません。

また、東京の露草登高会、アスペンクラブ、ACC−Jの3団体が三木会を組織して遭難救助の互助として協力しあった時期もありました。
その後、ACC−J茨城支部から発展してACC−J茨城として茨城岳連に加盟。

当会の足跡は北は利尻、知床から南は西表島までと広く、活動スタイルも冬の岩壁登攀、雪稜、氷壁登攀、沢登り、山スキ−藪山など、幅広くオールラウンドな登山を実践して現在にいたっております。
また、ヨ−ロッパアルプスの岩壁登攀、ヒマラヤ、南米といった海外の山々に挑戦する物も多く、国内においては本図氏の剣沢大滝完登、赤谷川ドウドウセンの完登をはじめ、バリエ−ション活動も受け継がれております。

同じ釜の飯を食べ、お互いに命を助け合った仲間同士でザイルを結び35年が経過しました。
その間数々のアクシデントがありましたが、幸いにも今日まで死者を出さなかった事は幸運であるし、今後も会員の技術力の向上を図りアクシデント防止に努力したいと思います。

北関東の山無し県・茨城  sak


「北関東の山無し県」とは、山に恵まれない茨城県を称した当会・会報のキャッチフレーズである。
語呂といいリズム感といい、なんとも言い得て妙な一文に先人の才を感じさせる。
言い得て妙。つまりわが茨城県は、同じ関東平野の北部に位置する、栃木県や群馬県と較べると一目瞭然の山梨県、いや、山無し県なのである。
そこで今宵はこんな山ヤにとっては不遇な茨城県の山について語ってみようではないか。

茨城県の山データ。茨城がいかに山無し県なのか、白山書房発刊の「日本山名総覧」(武内 正・編)で先出の栃木県、群馬県と比較してみれば一目瞭然の結果となる。

茨城県・山数116座・最高峰:八溝山 (1022m)
栃木県・山数278座・最高峰:奥白根山(2578m)
群馬県・山数371座・最高峰:奥白根山(2578m)

分かっちゃいるけど、とても残念な結果である。群馬百名山や栃木百名山なら聞いたことがあるけど、なぜ茨城百名山がないかって、もしそれを選出したなら、かえって選出されないほうが珍重されてしまうのだ。
そんでもって選に漏れた16座は「あぁ、こんなちんちくりんだから選出されなかったんだね」なんて一笑に付されてしまうコトでしょう。
ここまで差をつけられるのは、栃木県と群馬県のレベルが高いのではないかといえるかもしれない。それならと、全国的に比較してみるとこうなる。

1位・北海道・山数1281座・最高峰:大雪山 (2290m)
2位・新潟県・山数 943座・最高峰:小蓮華山(1022m)
3位・岩手県・山数 887座・最高峰:岩手山 (2038m)
 U
11位・群馬県・山数 371座・最高峰:奥白根山(2578m)
 U
28位・栃木県・山数 278座・最高峰:奥白根山(2578m)
 U
43位・茨城県・山数 116座・最高峰:八溝山 (1022m)
   埼玉県・山数 116座・最高峰:三宝山 (2483m)
45位・沖縄県・山数 107座・最高峰:於茂登岳( 526m)
46位・大阪府・山数 102座・最高峰:葛城山 ( 959m)
47位・千葉県・山数 62座・最高峰:愛宕山 ( 408m)

これはこれでなんとなく予想はついていた結果だけれど、イガイとキテない茨城県。
ううむ。ここはひとつ前向きに。データで勝てなきゃ内容で勝負なのだ。

茨城の至宝・筑波山。「いや、なにもそこまで言わなくても」という気もしますがイイんです。
茨城の山を伸ばすために、私は決めたんです。どうせなら褒めて伸ばしてやろうと。

茨城といえば筑波山、筑波山といえば日本百名山。
筑波山は日本百名山の資質に欠けるなどの意見も少なく無いですが、とんでもない。
西の富士と並び称された東の紫峰、筑波はその歴史において資質を認められているのです。
茨城出身者なら誰しも、ふるさとの原風景として筑波の双耳峰はしっかりとココロに焼きついているコトでしょう。
水郷・霞ヶ浦、桃浦から仰ぐそれは、鋭く天を突く凛々しい姿が特に印象的。春のカタクリ群生はモチロン、表登山道の奇石群は一見の価値アリです。
ふるさとにこの山在り。季節を替え何度となく登ったものです。

また、一般的には独立峰といわれている筑波山ですが、北方にその山地を伸ばしてもいるのです。
岩瀬〜御嶽山〜雨引山〜燕山〜加波山〜足尾山〜きのこ山〜筑波山。
この意外と知られていない裏筑波縦走路。雨引山から燕山、加波山と経て一本杉峠へ到る縦走路なぞ、筑波連山が、いや、故郷・茨城が世に誇れる道。こんな快適なハイキング道がスポットライトを浴びないのは実にもったいないものです。

ハナシは変わって、日本一の低山は、大阪の天保山(5m)これ結構有名なハナシ。
逆にほぼ知られていないのは、茨城で最も低い山。

まあこの際、認めてしまいましょう。”茨城”そこは北関東はもとより、全国的にも山無し県であることを!
そんでもって、ココに紹介しましょう。個性的な山々を。茨城の山は筑波だけじゃないんだぞ!と。

茨城に”富士山”は三つある。しかもこの3座、そこいらの富士山とは一味違うんです。
友部・128m、八郷・152m、そして笠間・183m。そう、標高の低い富士山・日本1、2、3揃い踏みなのです。

またこんなのもあります。以下、山行記録。
ツバクロ(行動時間:15分)、高天原(行動時間:5分)
北アルプスの雲上の楽園、燕(ツバクロ)に高天原(タカマガハラ)では無論、ない。
茨城にも燕(ツバクロ)と高天原(タカマガハラ)があるのです。

ひとつは筑波連山の中ほど、燕山(701m)これは結構知れています。
加波山神社先のテレビ塔まで車で入れば10分足らずで登頂できます。

もうひとつは結構難関。高天原(41m)。鹿嶋市にあり、まあ山というには非常にクルシイですが、住宅街の中の公園に立派な三角点の補点があります。
しかも隣地にある集合住宅のほうが遥かに高いです。是非探してみてね。

さて、茨城で最も低い山。そろそろ解りましたか?これは皆さん、宿題としましょう。是非調べて、気分がノリノリだったら行ってみることをオススメします。
ホンのちょっと見方を変えれば、つまらなくは無いもので、過剰な期待をしなければガッカリもしません。ネタになることは間違いなしです。(笑)

ところで茨城の山々、こんなイロモノばかりではありません。レッキとした楽しい山もモチロンあります。

数少ない県内登山の中でも生瀬富士、鍋足山、奥久慈岩稜(男体山〜籠岩)でしょうか。
ハイキングのなかにも岩稜が楽しめる、県内数少ないル−トです。
そのほかハイキングがメインではありますが、いずれ心地よいハイキング道のすべてを歩いてみたいものです。
目標は大きく茨城百名山を決めるコト。選考基準はsakの胸先三寸です。
そんでもって選に漏れた16座は「あぁ、こんなちんちくりんだから選出されなかったんだね」なんて結論付けられて一笑に付されてしまうのか、はたまた、かえって選出されないほうが珍重されてしまい付加価値がついて行くのか見守るのも、それはそれで楽しいのではないかと。
そうしてsakは高らかに笑うのだ。「あなどるなかれ北関東の山無し県、茨城を!」と。

西上州・碧岩北西壁  ガストン


西上州・碧岩北西壁を初登攀したとき、雑誌「山と渓谷」に投稿した。
この記録は山と渓谷の記録速報に掲載された。その時の原文が見つかったのでここに投稿します。
下記は名前以外原文のままです。

ミドリ岩初登攀
83年11月3日
ACCJ茨城 N、K、ガストンガニマタ

ミドリ岩については本誌532号に神原氏が詳しく紹介しているのでそれを参照していただきたい。

10月9日 N、ガストン

昼ごろになって雨が上がり北西壁基部のテラスまで登る。
まず昨年2回にわたり偵察と試登をした地点まで登ることにする。
1P目、枯木の所より取り付き右斜上に登るとブッシュスタンスに立つ。
次に左上のレッジに登ってから左にトラバースするが今日で3度目であるのにこのトラバースは極度に緊張させられる。
2P目、かぶり気味の壁を直上し前回の最高到達点につく。さらに5米位ルートを伸ばしザイルをフィックスして下降する。


10月10日 N、ガストン

昨日の所からハングとハングの間を右にトラバースしブッシュをホールドに強引にテラスに這い上がる。
3P目、テラスの左よりフェースを直上するが途中でボルトを1本使用する。10米で安定したテラスに出る。


10月23日 K、ガストン

4P目、テラスから右にトラバースしコケをはがしながらハングの下まで直上する。
ハングの下を左にトラバースしようとするがハーケンがきかない。
だましだましハーケンに体重をかけたがついに抜け3メートルほど転落する。登りなおしてボルトを1本打つ。


10月30日 N、ガストン

今日は天候が冬型で冷え込みが厳しく居合沢出合の人家の寒暖計は摂氏0度であった。
Nトップでハングの下をさらに左斜上しようとするがやはりハーケンが抜け5メートル転落。
このショックでフィックスザイルの結び目が融着してしまう。
ここはボルトを4本連打してハング左のレッジに立つ。
壁にさがっているツララが1日中解けないこの寒さには耐えきれず早々に下山する。今日は4米しかルートを伸ばせなかった。


11月3日 N、ガストン

レッジよりハングの一番小さい所を直上し、ハング上を右斜上するとブッシュに入る。偵察で予定しておいた通りのルートである。
このブッシュ帯より頂上に向かってフレンズがききそうな顕著なクラックが伸びている。
我々はブッシュ伝いに右上に登るとテラスに出る。
5P目、テラス上のフェースを登りブッシュのついたジェードルを強引に越すと西稜に飛び出す。
西稜の岩場を登ること20米でミドリ岩頂上に着く。


※岩質は石灰岩であるため特有の脆さがあるがルート上のコケや浮石は整理した。
岩の構成は垂壁かオーバーハングである。したがって岩の弱点から弱点へとルートを伸ばしたため、トラバースの多いルートとなった。
1Pから4P間に於いての転落はすべて空中を飛ばされる。しっかりしたプロテクションが求められないので登攀に際しては充分なる注意が必要である。
我々はA0、A1を多用したがこのルートは岩の弱点をついているため、以外にホールド、スタンスが多く、衝立岩もフリーで登られる現在、このルートもオールフリーでリードされるのもそう遠い事ではないであろう。

碧岩・北西壁トポ




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