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| 追憶の中に輝く山行がある。 それらは山人にとっての憧憬であり、また原風景でもあったか。 −山の記憶− そこには決して時の流れに風化しない、語り継がれるべき想いがある。 こだわりの、渾身の一行がここに |
剣沢大滝 剣沢遡行 Moto 知床海岸一周の旅 知床半島 Moto 西表島サバイバル生活 西表島 sasa 南稜フランケ! 谷川・南稜フランケ jin ヨーロッパ回想 マッタ−ホルン sato おいしい沢旅のつくりかた モウセンゴケの湿原 sak クライマックスはいつも 錫杖・見張り塔からずっと sak
剣沢大滝 剣沢遡行 1997.8 Moto 29日天気快晴 本流の水量が少ない。 半月峡手前で滝の下をくぐるところがあるが、水が流れていないではないか。 初めてのことだった。今回はチャンスだ。 十字峡まで1ピッチで行く。 十字峡では、いつも水量の多少を見る岩がある。しかし、地形が変わってしまい目安にならない。でも見るからに少ないのがわかる。 しばしの休憩をとっていると、富山県警のヘリがかなり低空で飛んできてホバリングをはじめた。なにか事故でもあったのだろうか、われわれを観察しているようだ観察しているようだ。うっかり手でも振ろうものなら遭難者と間違われるので、われわれもただ突っ立て見ていた。そのうちヘリは去っていった。 登攀用具を身につけ、お互い声を掛け合い、気合を入れて剣沢に向かう。 別山北尾根から剣沢に降りる懸垂支点に、今年の冬のものらしいカラビナが残置されていた。 やがて第一渡渉点に着く。 地形が変わってしまい、前回チロリアンを張った大岩なんぞどこかに行ってしまった。 流木を支点にザイルを使用する。 第二渡渉点はスクラムで突破。第三渡渉点は大岩を飛び、左岸側の水流中を前進するも、今にも体が持っていかれそうになる。二人で押し合い引き合いここを突破した。 そして6m滝に着いた。左岸のスラブのトラバ−ス点で、ここは大滝への関所ともいえるところであり、これを登らなければI滝を見ることはできない。 ここをすんなり登れなければ、大滝登攀はやめたほうがいいだろう。 続く二回の渡渉は問題なかった。 大凹角ルンゼの水を汲み、取り付きに立った。 昨日、私は家を出るときお茶を飲んできた。 これは難除けの茶という、私の田舎に昔からある風習である。 私がするのは初めてのことである。するとT氏も周りのこまごまとしたものを整理してきたという。 お互いある程度の覚悟はしてきたのである。 絶対生きて帰らなければと心に誓う。張り詰めた緊張感が全身に走る。いよいよ登攀開始だ。 一昨年残置したフィックスはすでにズタズタに切られ足元に横たわっている。 T氏とは首尾よく今回成功したらフィックスを外しに来ようと話し合っていたのだが、その必要はなさそうだ。 1ピッチ目 凹角を登り、左トラバ−ス後にフェ−ス直上。 ここを登るのは4回目なのにあまりの緊張感のためかル−トを間違える。 2,3ピッチ目はブッシュ。技術的に問題はないが、年齢的に垂直ブッシュは非常にシンドイ。 ここにはフィックスが残っていた。 4ピッチ目は浅いルンゼ状岩場をトラバ−スしてからブッシュ混じりのフェ−スを登る。 ここのフィックスはなくなっていた。 岩が露出しているところは一冬過ぎると雪崩でなくなってしまうのである。 我々は焚火テラスの先で使うため、一部のフィックスを外しながら登る。 今回の登攀システムは、ブッシュとトラバ−スはお互い荷物を背負って登り、岩場ではトップのみ空身で登り荷揚げをする。セカンドは荷物を背負って登るという方法をとった。 4回目とはいえ、51歳の体には相当きついものがあり、バテバテで焚火のテラスに着いた。 2年前我々がビバ−クした後は誰も来た様子がなく、テラスを整地しツエルトを張るころには夕闇が迫っていた。 Iさんの作ってくれたカレ−ス−プは絶品で明日への活力となった。 30日晴れ 気になるのは空模様ばかりだが、今日も大丈夫のようだ。一安心である。 焚火のテラスから水流上5mテラスまではフィックスを残さないと不測の事態にも戻ることができない。 パ−トナ−か自分に何かのアクシデントが起きても助けを求められないのだ。 こんな所に救助隊が来てくれるかどうか、確率はどうあれその可能性を切ることはできない。 なんとしても退路だけは確保しておきたい。 昨日回収したザイルを引きずりながら登攀開始。7mの懸垂からトラバ−ス。トラバ−スは人工といっても実際アブミに乗るのは7〜8回で、あとはバンド状をフリ−で登る。 かなり緊張する場所である。 一昨年のフィックスが残っている。 さらに2ピッチの振り子懸垂だが振りが大きく本当に時計の振り子のように振り込まないと、スタンスに立てない。スリル満点だ。ここに昨日回収したザイルを固定する。 フィックスの半分は今冬でなくなってしまうだろうが、トラバ−ス地点は数年残ると思われる。 続登者には場所がら許していただきたいと思う。 T氏はアクロバチックな格好で写真を撮っている。そのプロ根性たるや頭が下がる思いだ。 水流上のテラスはゴウゴウと激流の音がこだまし、E滝とF滝の飛沫が降りそそぎ、すごい迫力だ。 登攀中に水は得られないと聞いていたが、T氏が懸垂で水面まで降り、水汲みに成功する。戻りは無論ユマ−リングである。これで今日のビバ−クも安泰である。 緑の台地までの1ピッチは凹角左のフェ−スを登る。 ハ−ケン2本15分で登るがはっきり行ってここは見た目より易しい。 台地で休んでいるとはるか上空をヘリが飛んでいった。台地からの岩稜は全体的には70度くらいだが、部分的には垂直である。私はフラットソ−ルに履き替え岩稜に取り付く。沢登りではなく完全に岩登りの世界である。 この岩稜だけでも立派なひとつの岩登りル−トといって良い。 岩稜から見るD滝はすばらしい。 残置も所々見かけるが、すべてチェックが必要である。 1ピッチ目、岩稜をほぼ忠実に登り、テラスへ 2ピッチ目は右下降トラバ−ス後ルンゼを直上するが、トラバ−スの15mはランナウトするのでセカンドには恐怖のピッチである。 ビレ−点のボルトは雪崩でなくなっており、ボルトを一本打つ。 3ピッチ目、ルンゼを直上するか稜に出るか迷うところであるが、残置のボルトのあるフェ−スを10m登るとテラスに出た。今日はここでビバ−クする予定だ。時間もまだ早く、少しでもル−ト工作しておきたいが、とにかく暑いので2時間ほど休憩する。 涼しくなってから工作に入るも岩が脆くなってきた。3ピッチ目の後半になるわけだが、テラスより左の凹角に取り付き垂壁を1ポイントの人工で越え2段になったテラスにでる。正面の垂壁を右から回り込むように登り、松の木でビレ−。 4ピッチ目、松の木に立ってから上の垂壁を目指すが、残置は見えるもののボロボロで手が出ない。 少し右手のボルトのある垂壁にとりつくもここは悪かった。 この上、30m位はランナウトせざるを得ないほどボロボロだった。ここで落ちたら、どうにもとまらない。 ザイルを2ピッチ固定し下降する。 支点にボルトを3本使用。下に見える大滝上の雪渓は一晩中崩壊を繰り返していた。 31日晴れ。 昨夜は雲が広がって心配したが、どうやら今日も大丈夫のようである。 昨日のフィックスをユマ−リング。これだけでも今日の行程が楽になった。昨日の最高到達点よりさらに上を目指す。 5ピッチ目。見るからにボロボロであるが、他にル−トが取れないのでそこを登るしかない。 以前これと似たような壁を登ったことがあった。甲斐駒ケ岳の岩場だ。ここほど脆くはなかったがそのときの経験が役に立った。 手足四点に体重を分散し、腫れ物に触るように静かに扱うほかない。ハ−ケンボルトは当然効かないので、途中アイスハ−ケンを一本打ちこむ。 落石がビレ−中のT氏に雨のように降り注ぐ。 いつ落ちても不思議ではない状態が続く。 手にするホ−ルド、スタンスは触っただけで崩れてしまう。祈るような気持ちでここを抜け、左トラバ−スしビレ−。 6ピッチ目、垂直チムニ−を登ると傾斜が落ちた。 やっと岩稜を登りきったのだ。そのままザイルを伸ばし、左を見てみると黄色いテ−プシュリンゲが潅木に結んであった。我々もここから懸垂しよう。 喉はカラカラで休憩するも水は無し。遥か下には余るほどの水がゴウゴウと音を立てて流れているのだから早く行きたい。 最初の懸垂はブッシュで下が見えないので末端を結ばずに下降を始めた。 5mも降りたろうか、下を見てビックリした。45mザイルが空中を舞っているのだ。 「空懸の振り子か、まるでサ−カスみてえだな、ザイルの末端は結んでねえし、下まで届いてんのかな」独り言を呟やきながらザイルを振ってみる。何とか末端は岩に触っているみたいだ。 スリル100%の空中懸垂は、次の支点となるブッシュまで45m一杯だった。連続懸垂はいつもの回収とセットを同時にやる方法で飛ばす。 頭の中には水のことしかない。 計5回の懸垂でC滝上に降り立つ。 支点はすべてブッシュを利用できた。2人揃ってから剣沢の水で乾杯。コッヘルの水を一気に飲む。 剣沢の水は飲用に不適なんてことは百も承知だが、とっても美味であった。 ここで渓流シュ−ズに履き換える。 T氏はここまですべて渓流タビで登ってきた。これは我々岩屋にとっては”すごい”の一言に尽きる。 しかも、T氏はそんなわずかな時間を利用してコ−ヒ−を沸かして飲む。これはT氏の余裕からできる行動である。 B滝は右岸のナメナメバンドをトラバ−スするが、ホ−ルドなくギリギリのフリクションのみである。 ハ−ケン2本で快調にクリアする。 A滝は釜が半分埋まっており、左壁から直登すると、高島石盛さんが命名したという幻の神岩についた。 それじゃあTさん、先ほどのナメナメバンドを”神々のトラバ−ス”と命名しましょうよ。ヨ−ロッパの有名な大岩壁に同じ名前があるけど、それをいただきましょうよ。 やっと大滝を足下にした。 しかし、予想に反してどうみてもこの先易しくはない。いったいあの雪渓はどう越したらいいんだろう。今でも崩壊を繰り返し、氷片がガンガン流れてくるではないか。それ以前に雪渓まで行くル−トも見出せない。 この先は”交代だよ”といってT氏の手タッチし、すべて沢の貴公子にお任せした。 鳩首会談の結果、水線ギリギリを行くことにする。成せばなるもので、ハ−ケン打ってゴボ−で水中に降り、ショルダ−で大岩に這い上がりと、ボルダリングの世界を楽しんだ。 T氏は雪渓に上がる方法として私に2つを提案した。 その1、左岸に渡渉しルンゼから上がる。比較的安全だが、渡渉が困難。 その2、右岸の今にも崩れそうなSBの下を潜る。渡渉はないが、SB崩壊の危険は大。 私は水流を見て迷わずその2を希望した。 SB下を脱兎のごとく駆け抜けると簡単に雪渓に上がれた。 T氏の歩くのが速いこと速いこと、雪渓の安定した所で「Tさん休もう」と弱音をはいてしまった。 クレバスをジャンプで越すが、怪我をしてからすっかり苦手になってしまった。 雪渓末端はシュルントになっているため、木片とアイスハ−ケンを埋め込み懸垂する。 ゴルジュを左岸から巻くと、昨年偵察で見覚えのある地点に出た。 地形は変わったがル−トはそう変わらない。 私が水の中にザブリンコしたり、T氏がカメラを水中に没したりといろいろあったが晴れ晴れとした気持ちで二股に向かう。 夕刻やっと二股に着く。 握手したまま私は「ありがとう」の他何も言えなかった。 永かった。永い永い20年だった。感激して年甲斐もなく二人とも泣いてしまった。 しかし、空模様も怪しいしいつまでもこうしていられない。 早く真砂沢ロッジに行かなくては。 ロッジまでは最後の力を振り絞って1ピッチで着いた。 ロッジについて着いて着替えをしていると雨が降ってきた。この雨は明朝まで続き、強い降りであった。 家に電話をし最初に完登の報告をしたい人であり、そして一番喜んでくれるひとであろう、Iさんに報告を依頼する。 薄暗い食堂で剣沢の話を酒の肴にビ−ルを飲みながら、二人の祝宴は消灯まで続いた。 9月1日晴れ。 今朝方までの雨もやみついていることこのうえない。時間はたっぷりあるので、朝寝坊をし、のんびりとハシゴ谷経由黒四ダムに向かった。 >ペ−ジTOPへ |
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知床海岸一周のたび
知床半島 2002.7 Moto
Sが転職するということで今までの会社を退職した。 それを機会に北海道の山に2カ月ほど行ってくるという。私は北海道といえば利尻山しか行ったことがない。Sに刺激され、なんか私も行きたくなってきたのだった。 北海道で次に行きたいところといえば知床であった。 それも普通の山登りでは満足できるわけもなく、行くなら道のない海岸しかない。こんなとこ今まで行った人いるのだろうか。 集会でSに相談してみると「僕も興味があるので行ってみたい」という返事が返ってきた。その言葉を聞いたら俄然やる気が湧いてきて休暇を取ること に決心したのだった。資料を探しはじめるが、手持ちの中には見つけられなかった。資料がないとい うことは誰も行っていないのか?嬉しいような不安なような、でもそんなわけないだろう。 何日間で一周できるのか見当もつかないので何日の休暇をとったらいいのかわからない。困り果てて思いついたのが、北海道にいた岳人なら分かるか も知れないという単純な考えだった。 北大出身のSさんにメールで問い合わせた。それと面識はないが、新潟から札幌に引っ越し、現在は札幌登攀倶楽部に所属しているAさんにもメールをだした。お二人からは仲間に問い合わせるとの親切な返事をいただいた。私は最大6日間までしか連休は取れそうもない。それでも仕事に影響は相当で るだろうが、そんなこと考えていたのでは遠くには行けずじまいで一生を終えて しまう。子供達はみな社会人になったことだし、家族がなんとか食っていけるだけの収入は確保せねばならないけど、 これからは頑張ってもっと長期の休暇を取って行くことにしなければ。出発を7月3日とし3週間前に早割りチケットを申 し込んだ。Kも知床に興味をもっており行きたい様子だが、やはり6日間の休暇でなやんでいるようだ。 やがてSさんの紹介で、以前知床一周をしたことのあるN氏と連絡がとれ、記録の載った会報のコピーを送って いただいた。見ると、いままで数パーティが行っており、どのパーティも10日以上の日数を要しており、しかも一周をした パーティはあまりなく、殆どのパーティは帰りに船を使っていた。6日間では不安もあったが、飛ばせば なんとかなりそうだったし、もし遅れたらその時はそのときだと腹をくくった。 6月中旬、Sは一人で大洗からフェリーで出発した。 出発1週間前になってKから行くことに決めたと電話が入った。 飛行機のチケットはインターネットで格安券を探すとのこと。結果的には私より1万円も安いチケットが手に入った。 出発前々日にはAさんから資料が送られてきた。 やはり北大の記録だったが、N氏からのものとは違った資料で、これらの必要な部分だけをコピーにして持つことにした。 Sさん、Aさんには心からお礼を申し上げたい。 3日。晴時々曇。定刻に女満別に到着。 荷物を待って入ると「Mさーん」と声がかかった。Sからだった。元気そうで一安心。早速Sの車でウトロに向かう。 ウトロのコンビニで食料を買い込み、知床大橋に向かった。知床大橋を渡り、車止めを越すと、いよいよヒグマのテリトリ−に 入った感じがして、緊張する。 熊鈴と笛を吹きながら歩く。 道が曲がるとその向こうに羆がいるのではないかと緊張する。熊鈴と笛をうるさいくらい鳴らす。片手は熊スプレーに手をあてている。 林道は海岸より300m位上を通っている。やがて高度を落とし海岸に近づいてきた。 するとSが「いましたよ」と、静かに声をかけてきた。見ると100mくらい先に3頭の羆親子が歩いてい< る。いままで2回ツキノワグマと遇っているが、さすが親羆は大きい。風格が違う。毛並みが金色に輝き美しい。 離れているので恐さは感じなかった。刺激しないようそっと目的地を目指す。穏やかな流れのルシャ川を渡る。 初冬にマスの大群が遡上し、それをヒグマが捕まえる姿をテレビで見たのを思い出す。北海道のヒグマの写真は、 ほとんどがこの辺で撮られたものらしい。 やがてチャカパパイ川手前にある最初の番屋に着いた。 ここまでは林道が通じており車が入っている。ここでビバークしようとしたが、重機がうるさいし人々 が忙しそうに働いていたし、時間もあるので次の番屋まで行くことにした。この先は道がないので海岸の石ころの上を歩く のだがちょっと歩きにくい。 夕刻タキノシタ番屋に着く。この番屋は後ろに大きな美しい滝が落ちており、 観光船からの撮影ポイントらしい。近くに幕営しようとするが場所がない。困っていると番屋の人が出て来て納屋を使ってもよい と言ってくれた。助かった、お借りする。 納屋の前で夕食の準備をしていると、賄いのお姉さんがみそ汁やおにぎり、焼き魚などのおかずを持ってきてくれた。 住まいは千葉の流山で、知床が気にいってしまい、夏は知床で働き冬は流山に戻ると言っていた。 夕食を食べようとしたら何かが動いた。見たらすぐそばに熊がいた。2〜3歳であろうか、子熊である。 子熊といっても我々より体ははるかに大きい。腹がへっているらしく餌をくれというような仕草をしている。 食べ物の匂いを嗅ぎ付けたのであろう。急いで納屋にしまう。するとすぐそばによってきた。距離は5mくらいか、緊張する。 納屋に逃げる用意と熊スプレーを準備する。でも襲ってくる様子はなくお互い無視することにした。そのうち熊はどこかに姿を消した。 番屋の人の話では、こんなことは日常茶飯事とのこと。知床では人間と羆がお互い無視しながら共存しているように感じた 。 夜にお姉さんがお風呂に入っていいと言ってくれたのでありがたく頂戴した。極楽極楽。 お兄さんが、この番屋は発電機を使っていないんだが何で発電してると思う?と問うてきた。ん?風力?波力?。 すると滝を利用して水力発電をしているのだと教えてくれた。なるほど一晩中電灯が消えることはなかった。 4日。曇時々晴。漁師の朝は早い。朝5時には若者達が船でやってきて網などを持ちだし漁の準備を始めた。 今日は我々もこの旅の核心部である。泳ぐ装備を身につける。お姉さんが乾物などを差し入れをしてくれた。 これもありがたく頂戴した。 丁寧にお礼を述べて出発する。やがて泳ぎの連続となる。北大パーティは足ヒレをつけて泳いだようだが我々は持って 来なかった。沢で泳ぐのに使っていないのだからいらないだろうという判断だった。思ったとおりやはり必要性は感じら れなかった。 海が穏やかなのが救いだ。荒れていたらシンドイだろう。 突然親子連れ3頭の熊が現れたが、海岸から山に登っていくところであった。我々はその下を通らなければならない。 向こうは我々に気づいていない。 静かに静かにと言っているのにKはピーピーと笛を吹き始めた。 当然熊は我々に気づき足を止め、こちらを見ている。 「なんだよ!おめは!静かにしろって言ってんのに〜」と私は菊地を怒ったが後のまつり。さあどうしようか。 こちらも動きを止め、少しの間睨み合いがあったが、熊は再び山に向かって登り始めたので我々も行動再開。 少し先でまた熊と出会う。今度は1頭だがやたらとでかい。しかし断崖の上に立っており、我々の所には降りて来られまい 。その勇姿は、よくアニメで断崖の上でオオカミが遠吠えをする姿を見たことがあるが、それを熊と置き換えただけの 素晴らしい姿だった。熊の真下を通っていく。熊は我々をずっと見下ろしているようだった。さすがのKもここでは 笛を吹かなかった。 蛸岩を過ぎカシュニの滝下を泳ぐ。チャラセナイ川が海に流れ込むところが滝になっており、この滝をカシュニの滝と いい、ここも観光船からの撮影ポイントである。雪解け水の滝は冷たくて瀑風を浴びたら一気に震えがきた。剱沢大滝を一瞬 思い出した。 カシュニ岩の60mを泳ごうとした時だ。Kが、また熊がいるという。今から岸に向かって泳ぐのだが上陸地点 に子熊がウロウロしているのだ。近くには親がいるのに違いない。3人で笛を吹くが全然逃げようとしない。 しかたがないので上陸地点を熊から50m離れた所にする。熊は泳いでいる我々を見ている。しかし近づいてはこない。 私たちもこれだけ頻繁に熊と遇うと恐さが薄れてきてしまうのだ。お互い無視、無視である。 カパルワタラには快適そうな番屋があるが、まだ人は入っていなかった。北海道にはこのようなアイヌ語源のカタカナの 地名がたくさんあるが、その意味がわかったら楽しさは倍増するだろう。その先の小岬の泳ぎはこの旅最長で、60m と30mロープを繋いでも足らず、シュリンゲまでも繋いで対処した。 5mから10mくらいの岩の上り下りを繰り返す。荷物が重い。夕食も朝食も、 そして行動食まで戴いたので荷物が減っていないのだ。嬉しくて贅沢な悩みでは あるが。さらにゴルジュ突破装備を身につけているので、レタラワタラ付近では 日が差してきたせいもあって、暑くて少々バテ気味である。観光船が近寄ってきた。 おそらく客たちは「あんなところに人がいるよ」なんて騒いでいるのだろう。 気は乗らないがサービスに1、2度手を振ってやった。 イタシュワタラ番屋で今日の行動を打ち切る。やはり番屋に人はいない。快適 そうな畳みが広がっている。鍵もかかっていないが無断で入ることもできないの で番屋前にテントを張った。熊が来ないよう食料だけは納屋に入れさせてもらった。 なにか動く気配がしたので振り向いてみるとキタキツネがいた。おなかが減っているらしい。 でもお前にやるものはないぜ。頻りに回りをうろいついている。 なにも貰えないと察したか反撃に転じてきた。カラカラと音がすると同時にラジオの音が小さくなった。 キタキツネがラジオを食わえて持って行こうとしているのだ。「このやろう」と追いかけたらラジオを落 とし一目さんに逃げていった。 5日。曇午後強風と小雨。アウンモイ通過。なぜか私はこの名前に郷愁を感じた。それはなぜだかわからない。 アウンモイも廃屋となった番屋があるだけだった。獅子岩を過ぎると間もなく堤防が見えてきた。やっと文吉湾に着いたのだ。 テトラポットと堤防に遮られ、脆い岩場を2級のクライミングをして堤防の上に登る。何人かの人達が忙しそうに働いていた。 反対側の泥壁を登り草原に出る。草原には鹿の糞がたくさんあり、そういえばここにエゾシカが群れをなしているのを写真で見た ことがある。踏跡を辿るとアブラコ湾にでた。やっと知床岬に着いたのだ。岬の突端で記念撮影をする。最初予定していたアブラ コ湾でのビバークは、強風と雨と寒さのため諦め、赤岩まで行くことにする。 地形図に転々と記載されている番屋は今は廃屋ばかりでほとんど人は入っていない。でも一軒だけおばあさんと犬がいた。 どこから来たのかと聞くので知床大橋からだと言っても信用してくれなかった。おばあさんは、番屋にいるのが一番 良くて一人で来ているのだと話していた。お年寄りで一人で心細くはないのだろうか。知床に住んでいる人達は、みなそれだけ知床を愛しているのだろう。 はずれにある廃屋を整理して幕営する。風が強いのでこの廃屋には助かった。今日は羆とは遭遇しなかった。 水は近くの沢から取った。出発前、エキノコックスが恐くて飲み水はすべてボイルしたものを使う予定だった。 しかし北海道の岳人に聞くと、池などの溜まり水でないかぎりは気にせず飲んでいるということだったので我々もそのようにし ていた。実際ボイルした水だけを飲むなんてことは面倒でやっていられない。もし運悪くエキノコックスが発病したら寿命 と思うほかあるまい。 6日。曇ったり晴たりで時々雨。カブト岩、念仏岩を通過。女滝男滝はとても美しい滝なので記念撮影をパチリ。 海岸にはハマナスが咲き誇り知床に来た充実感に浸る。東海岸は西海岸と比べると地形が穏やかで易しい。1泊2日で相泊か ら岬まで往復ができる。難所には巻道があり、フィックスロープも張ってあった。 ペキンノ鼻番屋には5〜6人の人がいた。 子供もいたが、今日は土曜日で遊びに来ているようだった。ここでも最初に聞かれたことは「どこからきたの?」で あった。先の様子を尋ねると、今は満ち潮なので観音岩手前の難所は巻道を行っ た方が良いとアドバイスをうけた。先が長いのですぐ出発しようとすると干しタラをくれた。ありがたく頂戴する。 メガネ岩、剣岩、タケノコ岩、化石浜と快調に飛ばす。やがてアドバイスをうけた観音岩手前の難所に着いた。 迷う事なく海岸を行く。台風が近づいている影響か波が高いが、気合を入れて海中に飛び込 む。10mくらいの泳ぎで突破できた。観音岩番屋には人がいた。ここからウナ キベツ川にそって知床岳まで踏跡があるそうで橋もかかっていた。疲れもピークに達していたので大休止とする。 ここから相泊までは踏跡があり歩きやすくなった。疲れた体にムチ打って 相泊を目指す。夕刻、有名な「熊の穴」というラーメン屋に着いた。 店のおやじは「知床を立ち入り禁止にするなんてもってのほかだ」と息巻いていた。完歩乾杯用に高いビールを買い込む。 温泉に入ろうと場所を尋ねたら、おやじがそこまで軽トラで送ってくれた。天気良ければ近くに国後島が見える はずだけど、残念ながら今日は見えない。海岸にある無料温泉の駐車場にテントを張り、温泉に浸かりながら乾杯した。 7日。曇のち雨。有名なカムイワッカで、一番上の滝壺温泉に浸かりながらビールを飲む。 ここまで登ってくる観光客は少ない。この温泉が人気あるのは理解できる。私もいままでに入った温泉のなかでは 一番いい思い出になった。 追伸 8月中旬、タキノシタ番屋のお姉さんから便りがありました。 お姉さんは横浜の「みろく山の会」の会員で、丹沢がホームグラウンドとのこと。 さらに、今年2組目のパーティは熊に追われ、タキノシタ番屋に引き返し船で帰り、3組目のパーティは、 8月12日にタキノシタを出発して岬に向かったと書いてありました。冬になって千葉に帰ったら、 一度お礼かたがたお会いしたいものですね。 >ペ−ジTOPへ |
西表島サバイバル生活 西表島 2005.3.17〜5.21 sasa 西表島には過去に2002年の秋と2003年の夏に訪れ、今回で3度目になる。 これが最後の西表島サバイバル生活になるので、存分に大自然を満喫するために、前回の1ヶ月間サバイバルよりも倍の、 2ヶ月間サバイバルをやる事に決めた。 3月17日(晴れ) 羽田−石垣島−西表島−南風見田 石垣島はすでに夏の日差しが照り付け蒸し暑く、離島桟橋には水着姿の若者がベンチに座っていた。 近くにある郵便局に行き、帰りの衣類が入った荷物を預けるため、西表島の郵便局へ局止めで送る準備をする。係員に2ヵ月後に荷物を受け取ると言うと、3週間までしか駄目ですと返ってきた。何か良い方法があるか考えたけれど、仕方が無いので諦めるしかない。 あわただしく買い物を済ませ、12時の船で西表島へ向かった。大原港から大原郵便局へ行き、自宅から送っておいた重さ30キロのザックを受け取る。近くのスーパーで泡盛などを買い込み、この時点で荷物の総重量は60キロを超えている。ここからタクシーに乗り道路終点の南風見田の浜まで移動した。ここにある東屋のテーブルに荷物を広げ、5月分の食料と帰りの荷物を砂の中に埋めてデポする。 予定では鹿川へ向けてさらに進む予定だったが、とても暑いので今日の行動はここまでとした。南風見田の海では今がモズクの旬で、モズクを採っている人や泳いでいる人達がいる。さっそくシュノーケルを付けて初泳ぎ。浅瀬にはモズクがまとまって辺り一面にあり、海の中に座って丁寧に砂を落としながら水筒に入れて採った。 夜、東屋でモズクをつまみに泡盛を飲む。あまり酢は好きじゃないが、モズクはしょう油だけより酢を入れた方がとてもおいしいと感じた。余ったモズクは塩漬けにして砂の中に埋めておく。 夜中、寒くて目が覚める。気温を見ると17度だった。夏の服装しか持ってきてないので、雨具を着込んでもシュラフカバーだけでは寒くてほとんど眠れない。 3月18日(曇り時々晴れ) 南風見田−クイラの岩場 ザックの重量は50キロはあり、担ぎ上げるだけでも一苦労する。3年前に来た時には2時間で行けた所まで、今回は4時間もかかった。ここからゴムボートにザックを乗せて、海の上を引いて行く。非常に楽になり、ペースを上げて進むことが出来る。やがて潮が引いてリーフが現れ始めると、ゴムボートの底を擦るようになり、クイラの岩場手前ではほとんど進まなくなった。 クイラの岩場からはゴムボートに乗って海を渡る予定だったが、風と波には歯が立たず、ゴムボートはあえなく撃沈。もうすぐ暗くなる時間なので、急いで絶壁の岩場に取り付く。ロープが2本下がっていて、1本は頼りない物だった。荷物を3個に分けて2個はロープに結び、もう1個は背負って登る。登り終った所で体をロープで固定し、残りの荷物を引き上げ始めるが、一番重い荷物が出っ張った岩に引っ掛かり、全く上がって来ない。岩場から身を乗り出し、やっとの思いで荷物を引き上げた。 すでに日は沈み薄暗くなっている。ヘッドランプを付けて横になれる所を探しながら海岸を降りて行くと、岩棚を過ぎた所で半洞窟状のスペースを発見しホッとする。近くの岩場には水が流れているのでもう安心だ。おかず調達に海へ行き、モリでいいサイズのイシガキハタを突いて刺身で食べた。 夜中、気温は15度まで下がり、今日はひどく疲れているのに寒くて何度も起きてしまう。 3月19日(曇り時々晴れ) クイラの岩場−鹿川 出発してまもなく岩場の所で行き詰まる。ここは潮位が低ければ海周りで行ける所だが、今は無理そうなので10メートルほど小さく高巻いた。その後、アップダウンのある巨岩帯を重い荷物でヘタリそうになりながらも、必死になって通過し、今回のベースキャンプ地である鹿川に到着した。 テントとタープを張り、さっそく獲物の調達にかかる。ルアーを投げ魚をゲット。砂浜を歩いているカニを捕るために、バケツを砂の中に埋め、落とし穴を仕掛けたりもする。翌日、カニが4匹入っていた。 3月20日(快晴) 鹿川 キャンプ地周辺を散策してみる。野生のバナナやパパイヤが多くあり、青いパパイヤは野菜として炒めたり味噌汁で食べた。 夜釣りをすると、大きな魚が10号のハリスを次々に切ってしまい、釣りにならない。 3月21日(晴れ) 鹿川 磯へ釣りに出かけ、ブルーの魚が2匹釣れた。イラブチャー系の魚は身がやわらかいので好きじゃないからリリースする。 昼に小麦粉でうどんを作ってみる。以前、薄力粉で作ったら失敗したので、今回は強力粉を持って来た。小さなまな板では細く切るのが大変だったが、予想に反してコシがあって良いうどんが出来た。 明日は移動するので、後半分の食料や酒などを鹿川の浜にデポする。 3月22日(晴れ、夜から嵐) 鹿川−ウダラ 早朝、浜に打ち上げられた生きているスルメイカを発見。刺身と塩辛と網焼きで食べる。荷物が多いので撤収に1時間30分もかかった。鹿川から山を越えてウダラへ向かう。途中、ウダラ川の中間地点にある崎山へ続く分岐の所に食料をデポする。 ウダラ到着すると、2年前には三人ほど住んでいる人がいたが、現在は一人だけになっていた。夕方、飯の準備をしていたら、分岐の所にガスボンベを全てデポしてしまった事に気づく。ここにいる数日の間は、焚き火に頼るしかなさそうだ。 夜から雷雨になり、西表島に来て以来始めての雨となる。やがて深夜には、雷がバンバン鳴り猛烈な雨と強風が伴い、まるで台風のような嵐になった。強風でテントが今にも潰れそうで、物凄いスコールと5秒間隔で鳴っている雷には驚いた。こんな状況では外には出れないので、たとえテントが潰れてもテントの中でじっとしてるしかない。この状態が1時間ほど続き、さらに3時間後に再び同じような嵐がやって来た。今まで経験した事の無い嵐が過ぎ去ったのは、朝方の5時だった。器に溜まった雨水の量から、二回の嵐で200ミリくらいの雨が降ったと思う。 3月23日(曇り) ウダラ ほとんど眠れないうちに朝になり、海を見ると濁流で海全体が濁っていた。昨日の夜からずっと強風の北風で、たまに20メートルくらいの強風が吹き付けている。 昨日集めた薪は濡れていて、ライターでは火がつきそうに無い。焚き火をしないと何も食べることが出来ないので、あまり湿っていない立ち枯れしている木を集めて薪に使う。それでも簡単には火がつかないので、次回から消し炭を集めておき、これを着火剤として使った。 大学の4人パーティーが鹿川からやって来た。ここで一泊して、明日は船浮に行くそうだ。学生達は浄水器を使っていて、その隣で濁った川の水を水筒に汲んだら驚いていた。 3月24日(晴れ) ウダラ 風も無く良い天気になり、海へカキを探しに行く。ミナミコメツキガニが潮の引いた干潟に大群で群がっている。警戒心が強く、近寄ると回転しながら砂に潜って隠れてしまう。昼過ぎからウダラ川へ行き、釣りを始めると急に強い北風が吹き始めたので中止し、マングローブ林の散策に切り替える。マングローブ林の中にある水溜りには大きなシレナシジミがあちこちに転がっているが、この貝は大きな殻の割には身が小さいので拾わない。 3月25日(晴れ) ウダラ 今日、33歳の誕生日をウダラで迎えた。強い北風も納まり、穏やかな東風に変わる。 廃材を使って小さな炭ストーブを作る。火力は弱いが意外と使いやすいので、ガスコンロの代用になる。夕方、テントの横に立つ木に登り、乾燥して縮んでいるキクラゲを採る。 3月26日(晴れ) ウダラーアヤンダ川ーウボ川ー崎山 (山越えルート) 満潮時にウダラ川を渡渉するとザックが濡れるので、干潮の時間をみてウダラのキャンプ地を出発する。 ウダラ川を登り、分岐の周辺にはテープがたくさん巻いてある。デポした食料を回収し、コルを目指して斜面を登る。道は無くテープを頼りに林の中を進んだが、いつの間にかルートから外れてしまった。尾根に出た所で木登りをしてコルを探す。コルは下の方で、かなり登り過ぎていた。 尾根を下りコルに着くと、しっかりした道があったので驚いた。この道はウダラと崎山を結ぶ旧道で、現在はイノシシ猟などに利用されているようだ。尾根沿いに付けられた道は枝沢を越えると、沢通しの不明瞭な道に変わった。赤テープに助けられアヤンダ川本流まで来ると沢登りに変わるが、水量は少ないのでほとんど濡れずに進んで行ける。アヤンダ川上部から再び道が現れると、まもなくコルに到着した。 コルからは反対側のウボ川へ下る。ヤブっぽい道に赤テープがあり、シダ植物をかき分けて進む。途中、右岸から左岸にルートが変わり、やがて河口のマングローブ地帯になる。川の中は泥深くて身動きがとれなくなるので、マングローブ林の中を進み崎山湾の広い干潟に飛び出した。 崎山村跡には2年前に人が住んでいたが、ボロボロになったテントがあるだけで誰もいなかった。ここには大きなデイゴの木が数本あり、真っ赤な花が咲き乱れている。テントを張り、水場に管を設置して汲みやすくした。ここは夜になるとカエル、大コウモリがうるさい。 3月27日(曇りのち晴れ、夜から雷雨) 崎山 西表島でシーカヤックが遭難した事をラジオで知る。ガイドと客の3名が強い北風で流され行方不明になっていた。数日前に自衛隊のヘリが飛んでいた事を思い出す。 崎山村跡の散策と裏山へ続く道を行ってみる。裏山の上部まで整地されたスペースがあり、思っていたより規模が大きい集落跡だった。道はさらに奥へと続き尾根に出た。この道はおそらく反対側の海へ行くルートと思われる。それから、近くの川で魚釣りをすると魚が入れ食いで、40センチの大きなマングローブフィッシュが釣れた。 昼に3人組が歩いて来た。話をするとサトウキビ刈りの仕事をしていた人達で、仕事は17日に終わったそうだ。 ここは携帯電話が圏外なので、パイミ浜近くのリーフまで行き電話とメールを使う。リーフで魚をモリで突いていると、先程の3人組が来てシャコ貝探しを始めた。帰る途中でタカセ貝とクロチョウ貝を見つけた。 3月28日(晴れ時々にわか雨) 崎山 川にカニ網と大ウナギの仕掛けをかける。その後ミナミクロダイを釣る。 3月29日(曇りのち雷雨) 崎山 大ウナギの仕掛けにライギョの仲間がかかっていた。この魚はおいしくないのでリリースする。カニ網には何も無し。昼過ぎから雷を伴う大雨で何もできない。 3月30日(曇り) 崎山−パイミ 昨日の夜からずっと風が強い。テントを撤収してパイミ浜へ移動する。シャコ貝3個とタカラ貝を4個拾う。前回、パイミ浜にテントを張った場所は風がまともに当たるので、水場入り口から10メートル林の中に入った所にテントを張る。 3月31日(曇り時々晴れ) パイミ 周辺を散策する。昔、人が住んでいた形跡がいくつかあり、裏山の斜面にはヤシガニが掘った巣穴が多い。ここの川は小さな沢になっていて魚釣りはできないので、大ウナギの仕掛けをかけた。 干潮時にリーフの先端で釣りをして、魚を2匹釣る。リーフの浅瀬でタコがスミを吐いて逃げているので、バールで捕まえた。 4月1日(曇りのち晴れ) パイミ 拾った鍋で海水を沸かして塩作りを始める。夜の9時からヤシガニ探しに出かける。すぐにヤシガニ(中サイズ)を捕まえた。ヤシガニは小さくてもハサミが強力なので、素手で捕まえるのはとても危険だ。今回は大きな網の袋を使った。 山の斜面の所で木の根元に掘った巣穴の中に、大きなヤシガニの足だけが見えた。棒で突いても出てこないので、下側にある巣穴から枯れ枝でいぶしたがダメだった。諦めて戻る途中、沢沿いで大きなヤシガニを捕まえる。それから、沢の中をライトで照らしてモクズガニを捕まえた。この時、大ウナギがいたのを確認する。テントに戻った頃には深夜の1時を過ぎていた。 4月2日(晴れのち曇り) パイミ 朝から北西の風が強く、海は高波でとても入れないくらいだが、テン場は林の中なので風の心配ない。海水を何度も足して300グラムほどの塩が出来上がった。昼にヤシガニ(中サイズ)を茹でて食べた。身はタラバガニとほとんど同じ味で、腹の中にあるミソは、ほろ苦くて濃厚な味がする。 ここの沢にもテナガエビがたくさんいる。しかし、そう簡単には捕まえられない。今回、ペットボトルを使ったりしたが、一番多く捕れた方法は夜突きだった。 4月3日(晴れ時々曇り) パイミ 今日も朝から北風が強く、海で漁はできない。朝、沢へ見に行くと大ウナギがかかっていた。体長50センチの小さな大ウナギ。晩飯の蒲焼が確定する。 昼にヤシガニ(大サイズ)を茹でた。お腹一杯になって少し残す。 夕方、大ウナギを調理するが、皮がなかなか切れない。頭と骨を焼いてウナギのタレを作る。炭火で焼いて大ウナギの蒲焼を食べた感じとしては、少し泥臭い、身が締まっていて硬い、皮がゴム、油分ナシ、背ビレの骨が気になる。後から蒸したら身が柔らかくなり、かなり改善された。普通のウナギと比較すると、まったく話しにならない味だ。 夜、8時からヤシガニ探しに出かける。前回、ヤシガニの足だけが見えた巣穴近くで、特大のヤシガニを発見。足の大きさからして、あの時のヤシガニに違いない。足を広げると50センチを超える大きさなので、捕まえるのに時間がかかった。重量が2キロはあり、ずっしりと重い。 4月4日(快晴) パイミ パイミ浜周辺を散策する。浜の北側にも1ヶ所だけ水場、テン場があった。 夜になると上空は星がきれいに見えて天の川も良く見えた。9時から南十字星を見に、ヌバン崎まで潮が引いて浅くなったリーフを歩いて行く。夜の海は一人だと怖い。40分でヌバン崎に到着。ここまで来ないと南の空が見えないので苦労する。南十字星は下のほうにある雲に隠れて見えなかった。水平線ギリギリの10度くらいの角度に見えるので、この雲があると南十字星の全体を見ることができない。帰り道、大きなマツカサ貝をたくさん捕り、12時ごろテントに戻った。 4月5日(快晴) パイミ 朝の気温は13度で、昨日の夜は寒くて1時から4時までの3時間しか眠れなかった。日の出前に浜に出ると、寒さで動けず巣穴に戻れなくなったカニを6匹拾う。 昼には28度まで気温が上がり、真夏の日差しになる。ヤシガニ(特大サイズ)を茹でて食べる。カニミソの油がギトギトですぐにお腹一杯になり、3分の1残す。夕方になってもお腹が空かないので、米は炊かないでおく。夕飯は残ったヤシガニとマツカサ貝で済ませた。 4月6日(快晴) パイミ 少し風邪ぎみで体がだるい。今日は紫外線が強烈。前に捕まえたウツボがバケツから脱走して近くで死んでいた。米に水を入れずに火にかけて焦がした。 4月7日(雨のち曇り) パイミ 昼には雨が止み、ウエットスーツを着て海に潜る。サザエ、タカセ貝が3個づつ捕れた。浜に上がると風があり寒い。沢の水を浴びるともっと寒い。 4月8日(晴れ) パイミ テン場近くでワイヤーを拾ったので、奥の方にイノシシの罠を仕掛ける。昼に海へ行き、岩の隙間にアバサー(ハリセンボン)がいたのでモリで突いたら、海水を取り込んで大きく膨らみ、岩の隙間からなかなか出てこない。モリが根元から折れてしまったが、なんとか引き出し焚き火で丸焼きにして食べた。 夜、11時過ぎにヌバン崎まで南十字星を見に行く。今の時期は南十字星の南中が12時なので、その時間帯に合わせる必要がある。ヌバン崎に着くと、水平線の上に念願の南十字星が見えた。その後、大潮で潮が引いた海でマツカサ貝50個、サザエとクモ貝を3個づつ捕る。その他にタコを捕まえたが、いつの間にか袋から逃げられた。結局寝たのは朝の4時ごろになった。 4月9日(晴れ) パイミ 9時過ぎに起き、浜に行くとチャーター船でここに上陸した2人組みと会う。今から鹿川まで歩いて行くそうだ。天体観測機器の仕事をしている人がいて、昨日その人も白浜から南十字星を見たようだ。何だかんだと昼頃まで話し込む。 午後から海に潜り、2時間でタカセ貝を12個、クモ貝を7個、サザエを2個の収穫だった。マツカサ貝を含め、貝を茹でたりする作業が7時過ぎまでかかった。 4月10日(晴れのち曇り) パイミ−ウビラ川 テントの撤収で3時間かかった。干潮の時間に合わせて12時過ぎに出発、3時間でウビラ川に着いた。半洞窟の中にテントを張る。 硬いマツカサ貝の燻製を食べ過ぎて、奥歯の歯ぐきが炎症を起こす。 4月11日(曇りのち晴れ) ウビラ川−鹿川手前の浜 朝から釣りをして小物2匹、30センチオーバーのミーバイに逃げられた。2時に出発し、シャコ貝を2個とクモ貝を2個拾う。落水崎と鹿川の中間にある大きな浜でテントを張った。シャコ貝を刺身で食べる。 4月12日(曇り時々晴れ) 鹿川手前の浜−鹿川 昨日の夜、浜でカニを8匹捕まえた。11時から鹿川へ移動。鹿川にデポした食料と酒を無事に掘り起こす。 4月13日(曇り) 鹿川 パンを焼いて、パパイヤのツナサラダを作った。奥にイノシシの罠を仕掛ける。夕方、単独の女性が南風見田からやって来た。 4月14日(曇りのち晴れ) 鹿川 リーフ歩きで穴の開いた靴を縫う。昼に揚げパンを作って食べる。 4月15日(快晴) 鹿川 朝、浜に行くと大物仕掛けに魚がかかった形跡があったが何もいない。山から青いバナナを1房採ってくる。 4月16日(快晴) 鹿川 昼前、海上保安庁の大きな船が来た。ゴムボートで浜に上陸し、いろいろと聞かれた。浜でペットボトルに入った米を拾う。 東京から来た単独の青年と会う。この人は半年間ほど南風見田のキャンプ場にいて先月東京に帰ったが、今回シーカヤックで遭難したガイドの友人で、ニュースを知り西表島に戻って来たそうだ。 台湾から飛んで来た飼い鳩が2羽住み着いている。(羽の裏側に飼い主のハンコが印されている) 4月17日(曇りのち雨) 鹿川 昼に30センチの魚を釣り、刺身で食べる。夕方から雨が降り出す。 4月18日(雨のち曇り) 鹿川 昼過ぎまで強い雨が降り、テントの中で過ごす。川から泥水が流れ込み海は汚い。 4月19日(曇り) 鹿川 大物仕掛けに魚がかかった形跡があり、大きな針が伸びていた。 4月20日(曇り) 鹿川 テント内にはアリが多い。毎日食べる量が少ないからすごく腹が減っていたので、今日の夕飯は米2合とシチューと焼きそばを食べたが、満腹にはならなかった。 4月21日(晴れ) 鹿川 昼過ぎにガーラの群れが浅瀬に来て、小魚が浜に打ち上がっていた。ガーラは水面の小魚をバシャバシャと食べていて、まるで養殖場の様な光景だ。ルアーを投げるとヒット、すぐにバレる。ダツがメタルジグに歯の跡を多く残し、ボロボロになってきた。 4月22日(晴れ) 鹿川−ウダラ ウダラへ移動。シークワーサーの花は終わり、あずき大の実が付いていた。ウダラの干潟にはすごい数のミナミコメツキガニがいて、辺り一面にカニの大群が広がっている。 午後から海へ、海水はまだ冷たい。ウエットスーツを着てイモ貝を2個拾う。 4月23日(晴れのち曇り) ウダラ 対岸の岩場にダイビングツアーの船が止まっていたので、昼に船の近くで泳ぐ。岩場でカキを15個くらい持って帰る。急にスコールが降り出し、雨の中テントの上にタープを張った。 4月24日(晴れ) ウダラ ウダラ川でミナミクロダイを釣っていると、船が来てガイドと一緒に3人が上陸し、少し話をする。 4月25日(曇り時々雨) ウダラ スミストーブでコーヒーを沸かす。ウダラに来てから蚊が多い。朝の気温はだいたい24〜25度。 干潮時にイモ貝探しに行き、イモ貝を6個とクモ貝を1個拾う。甘い物が無性に食べたい。立ちくらみが最近多くなる。 4月26日(雨) ウダラ 朝から雨で何も出来ない。 4月27日(晴れ) ウダラ−船浮 濡れた物を乾かして、2時に出発する。1時間30分でイダの浜に到着し、2年前と同じ場所にテントを張る。その後、売店へ行き泡盛などを買ったら、ピーマンとトマトを貰う。 4月28日(晴れのち曇り) 船浮 朝食、昼食用にパンを500グラム焼く。とても量が多い。昼に栃木県から来た単独の人と話をする。今日から観光客が多くなった。4時から海に潜り、クモ貝とイモ貝を拾う。少し寒かった。 6時に売店へ行くとダンボールに入った荷物が運ばれて来たばかりだったので、棚に品物を並べる手伝いをした。ビール2本とヨモギ餅を貰う。 4月29日(晴れ) 船浮 昨日仕込んだパンを焼く。3年前に知り合った地元の人と一緒に、3時から泡盛を飲む。夕方、そうめんチャンプルをご馳走になって、7時にテントへ戻る。 4月30日(晴れ) 船浮−白浜林道−祖内−浦内川 朝一番の船に、出航ギリギリ30秒前に乗り白浜へ渡った。バスで祖内の郵便局に行き、余分な荷物を大原郵便局へ送り、買出しをしてから白浜方面へ歩いて戻る。 旧道に入り、昼過ぎから白浜林道を歩く。1時間後に林道はヤブだらけになり歩き難くなった。しばらくすると道は完全に無くなり行き詰る。周辺を1時間ほど探索したが、辺りは密林で獣道も無いようだ。白浜−大富横断は諦めて戻る。歩いて浦内川まで行き、ウタラ炭鉱の近くでテントを張る。 5月1日(晴れ) 浦内川−船浦−テドウ山−浦内川(カンビレーの滝)−第1山小屋跡 朝一番のバスに乗り船浦へ。バスは観光客が多い。船浦から登山口までの道ではカヌーツアーの車がたくさん通る中、パイナップル畑を見ながら歩いて行く。テドウ山の入り口が分かり難いので少し迷う。テドウ山の登山道を行き、途中からピナイサーラの滝上に行ってみる。滝上にはカヌーツアーの客で賑わっていた。テドウ山頂上から北に10メートル進んだ所からは、エメラルドグリーンの海が見渡せる。 竹の子を何本か採って、浦内川方面の登山道を下る。登山道は少し分かり難い所があるが、赤テープがあり迷うことは無かった。4時に浦内川のカンビレー滝近くに降り立ち、7時に第1山小屋跡に到着した。 浦内川に入り、全身水浴びをして体を洗う。近くで大ウナギがゆっくりと泳いでいた。 5月2日(晴れ) 第1山小屋跡−古見−大富−展望台 9時に出発。分岐では古見ルートの標識が外され、大富に抜けるルートだけになっていた。今回は古見に抜けるルートを進む。始めの頃はなんとなく歩けるが、次第に道が分かり難くなった。倒木、シダ類、ツルアダンで道が塞がれている所が多い。 11時頃、単独で来ていた林野庁の人と会う。落ちている標識を整備していた。話をすると、ここの登山道は現在立ち入り禁止らしい。それと、実際のルートと地形図に書いてあるルートは違っていると言っていた。確かにここに来るまで、木に付いた赤いペンキマークを頼りに歩いて来た。 前良川沿いの道になると分かり易くなり、最後の方で支流の渡渉が数ヶ所ある。そして、放牧場のわき道を過ぎると道路に出た。 3時にバス停に着き、バスを待っているとさっきの人と再び会い話が盛り上がる。大富でバスを降り、買出しをしてから展望台まで歩く。展望台は新しく立て替えられていた。 夕方、ライトで蛾を採集しに来た人と会い、夜には民宿の車で客が6人くらいここに何かを見に来ていた。 5月3日(晴れ) 展望台−大原−南風見田 単独の人が2組とトンボのヤゴを探しに来た人が来た。展望台にいると、いろんな趣味の人と会える。11時にここを出発し、キビ刈の人から聞いていたお勧めの食堂の一つである大富のやすみ屋でカツ丼を食べる。 大原の郵便局に荷物を取りに行くと、3日から5日は定休日だった。荷物は後で取りに行く事にして、買出ししてから南風見田の浜まで歩いた。砂に埋めていた帰りの荷物や食料を掘り起こし東屋で泊まる。 5月4日(晴れのち曇り) 南風見田 南風見田の浜は、観光客が昨日よりもずいぶん減って20人くらいだ。昼から奥の浜に移動してテントが張れる場所を探す。隣の住人に声をかけてから整備された空きスペースにテントを張った。ここの場所は、3月に目の前を歩いた時には住んでいる人が居たが、最近出て行ったみたいだ。 テン場の近くを流れる小さな川で、ザックやシュラフカバーなどほとんどの物を洗う。夜、海に入りクモ貝を4個とタカラ貝を捕った。今夜は熱帯夜で暑く汗をかく。 5月5日(曇り時々晴れ) 南風見田 浜でのんびり過ごす。 5月6日(曇り時々晴れ) 南風見田 大原へ向かって歩いている途中、豊原を過ぎた所でカヤックガイドの人が車に乗せてくれた。せっかくなので、古見の野生生物保護センターまで乗せてもらう。見学が終わってからバスで大富に行き、やすみ屋でしょうが焼き定食を食べる。700円でボリュームがあった。 大原の郵便局で荷物を受け取り、余計な物は大原の神社にデポする。買出しをしてテントへ戻った。 5月7日(晴れ) 南風見田 浜でのんびり過ごす。 5月8日(晴れのち曇り) 南風見田 昼からリーフで釣りをするがダメで、泳いで大きなタカセ貝を6個捕った。 5月9日(晴れのち曇り) 南風見田 浜で25センチのコトヒキを釣り、昼にカルパッチョを作って食べる。昼からリーフでルアーを投げていたら、足にルアーを引っ掛ける。針が外れないのでナイフで皮膚を切って外した。サビキ釣りで25センチのアイゴが釣れたので刺身で食べる。 5月10日(曇り) 南風見田 昼から釣り。小物ばかりなのでシャコ貝探し。リーフでシャコ貝を見つけた。 5月11日(晴れ時々小雨) 南風見田 昼過ぎにシュノーケルを持って、離れた場所へ遠征する。シャコ貝を2個とタカセ貝を捕った。 5月12日(曇り) 南風見田 浜でのんびり過ごす。 5月13日(快晴) 南風見田 牛の放牧場へ行き、キノコ探しをする。白色のキノコが数本採れた。帰り道の途中で、道路わきのアセロラを採って帰る。 夕方からリーフで釣りをする。小さなカニを丸ごと餌にしたら大物がかかった。引きが強いので時間をかけて手前まで寄せると、足元の岩陰に潜り込んでビクともしない。竿をサンゴのすき間にさし込み、急いでモリとシュノーケルを取って来る。 海に入り岩の隙間を覗き込んでもなかなか魚の姿が見えず、10分くらいかかってモリを魚の頭に刺した。50センチのイシガキミーバイだった。刺身、バター焼き、アラ汁でたらふく食べてもまだ余っていた。 夜の10時に南十字星がハッキリと見れた。 5月14日(曇り時々晴れ) 南風見田 気温が29度まで上がりとても暑い。浜でのんびり過ごす。 5月15日(曇りのち晴れ) 南風見田−大原 昼過ぎに南風見田の浜を出発。大原のスーパーで本マグロの刺身を買い、デポを回収して港に行く。東屋には蚊が多く、防波堤に移動。ここにも蚊が多く、虫除けスプレーをかけても蚊の音が気になって一睡もできず朝を迎えた。 5月16日(晴れのち雨) 大原−石垣島 朝の6時から仲間川遊覧船乗り場へ行き、防波堤で1時間ほど寝る。9時から遊覧船に乗り仲間川を見学。 11時の船で石垣島へ行くと雨が降っていた。バスターミナルに荷物を置き、街の中を散策する。 南楽園キャンプ場へバスで移動。テントを張る時、ムーちゃん(キャンパーネーム)がいろいろ教えてくれた。中央の休憩所近くにテントを張り、夜はここの長期キャンパー達と一緒に酒を飲む。ここのキャンパーはみんな外見は濃い感じだけどすぐに慣れた。 5月17日(晴れ時々にわか雨) 石垣島 キャンプ場のレンタサイクル(1日250円)で街へ行く。とても暑く真夏の太陽だ。食べ放題の店ガストロへ行き、焼肉を食べまくる。 5月18日(晴れ時々にわか雨) 石垣島 今日もレンタサイクルで街へ。今日も暑いのでエアコンが効いた場所で涼む。 キャンパーが毎日食べに行く食堂さつきに入る。日替わり定食だけセルフサービスとは知らずに座っていたら、 店員に声をかけられた。ご飯と味噌汁はお替り自由で500円。午後から図書館に行き、 インターネットが無料で使えるマルチメディアセンターに行く。夕方、近くのビーチでひと泳ぎしてキャンプ場へ戻る。 5月19日(晴れ時々にわか雨) 石垣島 レンタサイクルで石垣島の中央部を一日かけてぐるっと周る。パイナップル畑にはまだ小さなパイナップルがたくさんあった。 5月20日(雨時々曇り) 石垣島 3年前に西表島の崎山で会った人とキャンプ場でばったり会う。この人は去年の夏に鹿川で過ごし、そこにビーパルの取材が来て、ビーパルに載っていると言っていた。明日、鹿川へ行くそうだ。後日、ビーパルを見たら鹿川に住んでいる様子が書かれていた。 昼にキャンパーに教えてもらった、なかよし食堂で500円のしょうが焼き定食を食べる。 5月21日(晴れ) 石垣島 キャンプ場からバスで空港へ移動。長かった西表島での2ヶ月間サバイバル生活が終わる。昼の飛行機に乗り、夕方には茨城に戻った。 >ペ−ジTOPへ |
南稜フランケ! 南稜フランケ 2002.9 jin この2、3ケ月、壁の状態が悪くて、まともに登っていない。 週末雨が、多くて日曜晴れでも、結露がひどく登れないという日々が続いている。 流石にフラストレーションもMAXに達しそうなので、谷川辺りでオールフリーで行ける、おもしろそうなルートへ、と思い南稜フランケに遊びに行くことにした。 まだ残暑と言うことで、気温が気掛かりだったが、登っている時はTシャツ一枚で快適♪取り付きで、オブザベーションしてる時は、少し肌寒い位そして岩は、カラカラと文句の付けようのないベストコンディションだった。 1ピッチ目、Jの先行で登りだす。テラスの場所に見当を付け右上。ピンは少ない。 2ピッチ目、S君。草付きを左上後右へ。核心の手前でピッチを切る。狭し。 3ピッチ目、所謂核心部?Jが行く。出だしトラバースぎみ。傾斜もきつく、足下は完全に空間が広がっている。楽しめる所だ。後、直上するが、御他聞にもれず、ピンは少ない。不安になってきた辺りで、やっとリングが出現するという感じだ。 4ピッチ目S君。バンドを右に!となっているが釈然とせずルートファインディングを信じて、ロープをのばす。カンテを回り込むところが昔風に言えば、しょっぱい! 5ピッチ目。表記のグレードでは、3ピッチより+、ノーマル、−、とやさしくなっているが、ランナウトの距離は反比例していくので、難しくなって行くように感じた。あの場所で10m近くランナウトした状態でのバランス立ち込みは、エキサイティングだ! ラストピッチ、傾斜の強いフェースから、かぶりに感じる草付きを乗っ越し、馬の背に出て終了。南稜を懸垂で下降した。 今回は、ヒョングリの滝もカラカラという程のベストコンディンションに恵まれ、いいクライミングが出来た。溜まりに溜まった鬱憤も多少解消された日だった。 >ペ−ジTOPへ |
ヨーロッパ回想 マッタ-ホルン 2004.7 sato 出発前 出発準備完了。パスポート、航空券、旅の準備、山の準備、忘れ物がないか念入りにチェック。 山の装備が予想以上に嵩張り、しかも重い。100リットルザックがすでにいっぱい。身につけるとさほどでもないのに。 Sさんから待ち合わせのtelがあり、ロジエールキャンプ場のバーの前にテントを張ったとのこと。 まさかキャンプ場内にお酒をだす所があるとは夢にも思わず、目印になる大きな棒があると勝手に誤解。 2004年7月18日 いよいよ出発。3人で無事に戻ってくることを祈りつつ定刻通り成田から離陸。 初めて乗るアシアナ航空の印象は○。機内食おいしい。すべての食事にチューブ入りコチジャンがついてくるのが韓国っぽい。 あっというまに仁川空港到着。1時間強の待ち時間でフランクフルト行きの便に乗る。本を読んでいるうちに無事空港到着。 重い荷物をかかえて中央駅まで地下鉄で移動。予約を入れていた駅前のホテルにチェックインして周辺を散歩。 夕飯を早めにとって爆睡。 7月19日 時差ぼけからか緊張からか、かなり早めに目が覚める。予定より1本早い電車でシャモニに向かうことにする。 朝食時間前だったがだめもとで厨房と交渉してみると2食分は確実にある朝食を持たせてくれた。ラッキー。 途中バーセル、ローザンヌで乗換え。いつの間にか寝てしまい気付くと電車がモントルー駅のプラットホームに入るところ。 乗換えじゃん、あぶなっ。最後の乗換えをしてほっと一息。急な細い坂を上るとようやく山が近づいてきた。 シャモニ・モンブランで下車。待ち合わせ予定のマックに入るとすぐに見知った顔を発見し無事合流。 キャンプ場で荷物をおろし、ようやくほっとする。ここでバー違いに初めて気付く。 初めて目にするるヨーロッパアルプスのスケールの大きさに大興奮。 7月20日 コスミック山稜。シャモニからロープウェイで一気に3800mの標高へ。視界不良風強し。 ロープを結んで踏み後をたどる。歩くこと1時間、コスミック小屋の点前で踏み後をはずれ取付きへ向かう。 稜線を登っていくと懸垂下降で手間取る先行パーティー。小1時間ほど待たされる、いつの間にか降ってきた雨、寒いよ。 懸垂下降の後、抜かそうとするが狭くて抜けない。あ〜あ、核心に取付かれてしまった。案の定待たされる。 今度は雹だ、痛いよ。雷もなりだした、ビレイ地点の岩が雷に共鳴してる、怖いよ。 終了点の展望台に駆け上り安全地帯へ逃げ込む。装備をはずしていると駅員に今日はこれで運行中止になるから早くロープウェイに乗れと言われ駆け込む。 怖くて寒かったコスミック山稜であった。 7月21日 夕食までにつけばとゆっくりの出発。ロープウェイの駅は観光客で激コミ、やばいかも。 前日にコスミック小屋の予約でお世話になったベルナデットさんにここでもお世話になり、登山者ということで優先的にロープウェイに乗せてもらった。 無事にコスミック小屋にチェックイン。部屋は我々3人とフランス陸軍。訓練でモンブランに登るとのこと。 別な部屋から日本語が聞こえてきたので「こんにちは〜。」とご挨拶。ん?どこかで見た顔。 なんと水戸葵のY子さんとMさん、こんな偶然あるものだと話に花が咲く。日本の山小屋と違ってマットは1人一枚、食事は小洒落たレストラン並み。美味しい、快適。 7月22日 1時起床。さあいよいよアタック。頭上は満天の星だが遠くに稲光、やな感じ。 最初にでてくるモンブランタキュールへの登りでやや渋滞気味。口をあけたクレバスを飛び越えるのに緊張が走る。 トレーニング不足のせいか高度のせいか足が思うように進まない、もっと富士山に登るべきだったか・・・。 登り切ったところで雪が舞い始め、先へと進むにつれ吹雪となってきた。さらに進むとぞくぞくと引き返してくる先行パーティー。 その中にいた水戸葵のお二人のガイドからこの先誰も登っておらずトレースがないからと引き返すよう言われる。 先頭集団にいた彼らガイド達が相談して引き返す決定をしたようだった。 モンブランを諦め下山を開始、途中同室だったフランス陸軍とすれ違う。 彼らは大きな荷物をもって頂上へと進んでいった、さすが。 ロープウェイで下へと戻ってくるとモンブランの頂上以外は雲一つ無い快晴。悔しい思いを胸にマックに入ると水戸葵のお二人!なんという偶然、大いに話が盛り上がった。 7月23日 モンブランの登頂が叶わないままシャモニを後にする。 4810mはワンチャンスで登れるほど甘くはない、と自分に言い聞かす。 電車を乗り継いでツェルマットに到着。マッターホルンはガスの中。テントを張り、早速登山センターへ。 「ヘルンリ稜のコンディションは?」と尋ねると「わかんない。」と。私の英語が下手なのかともう一回。 「私たちはマッターホルンをガイドなしで登りにきたのでルートの状況を教えてくれるとうれしいんだけどぉ・・・。」 「だからわかんないって!」「???」さすがに言葉足らずと思ったのか補足説明をしてくれた。 今年は天気が安定してないのでまだガイド登山も開始してないので誰もルート状況を把握していない。 ガイド登山がいつ開始できるかの見通しすらたってない、とのこと。 え〜!3人で相談し明日の小屋の予約をキャンセルし、変わりに明後日と明々後日の2日間に渡り予約を入れた、これが後になってとてもラッキーなことになるのであった。 7月24日 快晴。リュッヘルホルンへの岩登りとゴルナグラートの観光へと出かける。 展望台は観光客で大賑わい。モンテローザもマッターホルンもくっきり見える。 ハイキングコースを歩きながらリュッヘル・ゼーまで下る。犬が池ではしゃいでいたため逆さマットホルンは見られず、ちっ。 ハイキングコースを外れてリュッヘルホルンの取り付きへ。3ピッチで岩の頂上につく。 観光客がこない静かな場所で景色を堪能、とても贅沢な気分。 マッターホルンの頂上に立てますようにとリュッヘルホルン頂上の十字架に祈る。 7月25日 晴れ。マッターホルンへと出発。ロープウェイでシュバルツゼーへ行き、2時間ほどでヘルンリ小屋へ。 今日からガイド登山が開始され、ルートも問題ないとのこと、ラッキー。 荷物を置いて早速偵察へ。登りだしにはフックスロープ。トレースばっちり、1時間ほど登って戻る。 ヘルンリ小屋の夕食も豪華。スープがとても美味しく、おかわりをお願いしたら快くオッケーしてくれた。 7月26日 快晴。3時起床、4時出発。モンブランの時と同じくヘッドランプの列ができている。 それでも平年の半分以下の人数だそうだ。前日の偵察場所まですんなり到着。 周りにいるのはガイド無しのパーティーのみ、ガイドはあっという間に見えなくなる、早っ。 あちこち踏み後があり、どこでも登れそうで判然としなくなる所がいくつか。 ルートを一回はずした時のベルグラ攻撃、ガレ攻撃がとても怖い。 ソルベイ小屋から上の稜線で下りのガイドとすれ違う。巡回のヘリが沢山飛んでおり、そのうち一機がルートとはだいぶはずれた下の方から人を回収するのが見えた。 核心の雪壁はフィックスを利用して登り、最後の雪面を登るとようやくキリスト像(多分)のところへたどり着く。 ツェルマットの町が遠くに小さく見える。休まずそのままイタリア側の頂上へ。こっちは十字架とマリア像(確実)。 3人同時に十字架にタッチ、やったぞー!写真を撮りまくった後にスイス側へもどって大休止。 押し寄せてくる感動、最高だね。 名残惜しいが下山開始。懸垂、懸垂、また懸垂。何十回と懸垂を繰り返す。 いつの間にか夕暮れ、ツェルマットに映る影マッターホルン、なかなか見られるもんじゃない。 ようやくロープをしまい歩き出す。あ、ヘッドランプ壊れた!修理不可能、やばい。 2人にフォローしてもらいゆっくり降りる。ようやく取付きに戻った時間は23時40分。 今日も小屋に予約は入っているはず、眠れる。と思ったら小屋には鍵が・・・。 仕方がないので小屋の前でツエルト張ってビバーク。 誰かがトイレに出てきた隙に小屋へもぐり込み、3時前にようやくベットに横になる。 7月27日 快晴。外のテラスでゆっくりまったり。14時すぎに下山開始。 キャンプ場へ戻り、お土産等々お買い物。さらに荷物が増える・・・重い・・・。 7月28日 快晴。ちょっと贅沢に氷河特急に乗ってツェルマットとお別れ。 その後はトラブル続き。荷物は車両ごと切り離され、パスポートは置き忘れ、飛行機は遅延、予定外の韓国出入国と息をもつかせぬ攻撃。 それでも3人で無事に成田にもどってくることができた。 最後に 出発直前まで迷ったけれど、やはり行ってきてよかったと思う。 Kさん、Sさんのお陰で非常に楽しい旅を堪能でき、何と言っても私の3大登りたい山の1つ、マッターホルンをのぼることができた。 シャモニもツェルマットも楽しそうなトレッキングコースが充実しており、また機会があったら行ってみたい。 3大登りたい山の残り2つ、だれか一緒に行ってくれる人が現れることを切に願う今日この頃である。 >ペ−ジTOPへ |
おいしい沢旅のつくりかた 黒谷川 2004.7 sak =すまいる= 森はいいね。春は萌え、夏は蝉時雨。 風に唄い、雨の雫は葉を叩き静かに万雷の拍手となる。渓もいいね。ほどよく響き、露はもはや水晶のごとき。 水面に映るはとっておきのイイ顔。すまいるすまいる。 おいしい沢旅のつくりかた@ 蒼天の吉日を逃すべからず。それから”すまいる”を忘れずに。 =火の傍= 平凡な流れ。どこまで行っても何てことない流れが続く。 この平凡さが実にイイ。たまにはドキドキさせられたりハラハラしてもイイんじゃないかと思ったりするけど 平凡な流れが平然と続くのです。 苦悩を感じさせない気概がいいね。到底及びもつかないなあ。 渓の恵みをほんの少しだけ分けて頂き、一方的に居候。こんなわがままホントは叶いっこないんだろうけどね。 それもこれもリリスに感謝。 おいしい沢旅のつくりかたA ときに自分を見つめて苦笑い。火の傍、肴に囲まれ酩酊するがよし。 =晴天の霹靂= 明けて本日もすまいるすまいる。どうしたって止まらないね。止められないね。 それには予感があった。 「決めた。あそこに行く。どうしても行く」リリスはそうしてその場所を選んだ。 薮に浮かぶ湿原。それはまさに晴天の霹靂。憧れで済むはずはなかった。 =ひとつまみ= ひと汗かく頃いくつか支流が合わさってくる。そのいずれかがそこへと導いてくれるだろう。 とはいえ薮こぎの覚悟さえあれば怖いものはない。 空梅雨の晴れ間、日差しはもはや夏以上。一気に突き上げる支流はまるで空に続くようだ。 急登が済めば特有の猛烈なヤブ。と思っていたが、まあそれほどでもなかった。ヤブ3級。 おいしい沢旅のつくりかたB ほんのひとつまみ、薮こぎを入れてみる。決して入れすぎてはいけません。 =モウセンゴケ= 先人はこの場所を「モウセンゴケの湿原」と記した。 池塘の周りに小さな小さな食虫植物が点在していた。それがこの名の由来であろう。 それに習ってそう記す。 そこはせめてもの救いだった。今の自分にはこれが精一杯。 ほんのわずかなときだけど、ほんのささやかなものだけど、薮にポッカリと浮かぶ瓢箪型の湿原で心地よい風 に吹かれた。 =手作りレシピ= 荘厳な森、きらめく渓、やさしい焚、楽しい漁と採。めざす先には薮に原。 せめて今だけ、ここだけででも思いのままに。群青の空に微笑めば渓に濡れるも心地いい。風に吹かれて想い 耽れば自然と道は見えてくる。 そんなときが何ものにも代え難い。 手作りレシピに欠かせないのは最後のひと工夫。それはね、それぞれのかくし味。 さあ、おいしい沢旅のできあがり。 食べ頃は何といっても作りたて。おいしいうちに召し上がれ。 >ペ−ジTOPへ |
クライマックスはいつも 錫杖・見張り塔からずっと 2008.6 sak 「見張り塔からずっと」 それは見張り塔からずっと、終始しなければならない。 その時の永さといったら気が遠くなるほどで、時に目眩を覚える。 宿命。それは、ただただ、塔の上から終始しなければならない事であった。 本峰フェ−ス末端のフリ−ル−ト「見張り塔からずっと」は、北沢フランケを望む北沢大滝から登攀が始まる。 1P・リ−ド 北沢大滝の左、階段状〜ルンゼ。 どうやらこれがル−トミス。 2P目を伸ばすも手がかりのないスラブに行く手を阻まれ、そこからロワ−ダウン+懸垂下降。 2P・リ−ド 少し戻ってカンテを乗り越え、北沢大滝の右岸を行く。 意外と支点は豊富。 3P・フォロ− 大滝上部のスラブ。 U、V級で簡単だが、支点はほとんどない。 4P・リ−ド スラブを左上。中間支点なし。あと5になって漸く支点を発見。 5P・フォロ− 特徴のない緩傾斜スラブ。 6P・コンテ 緩い傾斜の草付きスラブを中央稜まで。 これから登るル−トの全容が見渡せる。 かなり立って見える。少々不安。道読みと確認も含めて小休止。 ロ−プを出したが、ここまではアプロ−チといっても過言ではない。 7P・コンテ 中央稜から沢筋をトラバ−ス。 8P・リ−ド 下部のルンゼをつめ上げ、大洞穴まで。 9P・リ−ド このル−トの実質がここから始まる。 オリジナルは大洞穴に少し入ってから行くらしいが、少々濡れているので入り口左のカンテル−トをとる。 一段上がって少しカブったところにカムで支点がとれる。 上の隠れたカチを拾って、角度を殺した足裁きでそれを越え、時に甘めのホ−ルドも含めたフェ−スを行く。 この高度感。既にフォロ−が見えないので、やはり結構な角度があるのであろう。 ここで、一つ後悔。相棒のストッパ−を借りるのを忘れてしまったことに気付く。 しかたなく岩溝にスリングのコブを食い込ませ支点とする。 ほぼ中間にある松の木で支点とレストができる。 そこから上のクラックがこのピッチのハイライト。 カムで支点を得ながら、ハンドジャムやステミングでの登攀。 NPクライミングの醍醐味といったところか。 緑のテラスにあるハ−ケンと、岩でビレイ。 10P・リ−ド 核心とされるピッチ。 凹角を直上。チョックストン上にたてば右のフェ−スに外傾スタンス。ここをトラバ−スが正解だ。 左のクラックにカムで支点。一歩を踏みだす。 「いやあ、ここかあ。」思わず声が出る。 これは確かに技術的というよりは心理的に辛い。 何しろ支点が取れないので、ここで落ちれば、かなり左に振られ、壁に激突は免れない。 ようやく中間にあるクラックにストッパ−で支点は取れるが、決して信頼に足るものではない。 そこから左上するが、ここも甘めの外傾ホ−ルドに一時、行き詰まる。 普段の研鑽の賜物、忍耐とレストを繰り返し、この難局を乗り越える。 上部スラブに出たらチョット左にチョコンと突き出た展望台がある。 これが見張り塔。このル−ト名の由来なのであろう。支点は丁度そこにある。眺めが最高。 フォロ−を迎えて、小休止とする。 「見張り塔からずっと」 時に見たくもない事象をも見守る他はない。 介入する術もなく無声映画を観るように、ただただ、そこから終始しなければならない。 そこに立つ哨兵は哀れだ。 11P・フォロ− スラブを岩壁まで。ロ−プの流れによっては落石に注意が必要。 12P・リ−ド ルンゼを一段上がれば、草付きルンゼ。途中の潅木でピッチを切る。 13P・フォロ− 最終ピッチ。 草付を詰めて、最後のフェ−ス。 最後のフェ−スはクラックにハンドとフットを捻じ込んでいく。 その先の青空に、その向こうの山並みが開ける。そして歓喜。 はたして終了点が錫杖岳の山頂。これほどのクライマックスは、そうない。 「見張り塔からずっと」 そこに、善や悪など意味があるはずもない。 見えるのは事実だけだ。 明と暗、光と影。クライマックスはいつも同じとは限らない。 見張り塔からずっと、いままでもこれからも。 >ペ−ジTOPへ |








